![千本釈迦堂.jpg](https://image.space.rakuten.co.jp/lg01/18/0000911518/60/imgfc728a7dzik9zj.jpeg)
さて、一条戻橋から北に向かい、千本通りへ。
このまま北へ進むと、三大葬送地の一つ蓮台野に至ります。 そもそも、この「千本」という地名にしてからが、蓮台野に葬られた人々のために建てられた供養塔や卒塔婆、石仏がこのあたりに無数に林立していたためだとか。
洛中からいくらも離れていないのに、そういう状況なわけです。 で、千本通りを北上し、まずは千本釈迦堂(大報恩寺)へ。
鎌倉時代の創建なので、平安京の時代にはありませんでしたが、現在本堂は国宝、霊宝殿には重文の仏像がたくさん納められているお寺です。が、こちらでもっとも有名な方はなんといっても「おかめ」さん、境内にはりっぱなおかめさんの銅像が。 というのも、このお寺を建てるとき、大工の棟梁がなんのはずみか大事な柱を間違って短く切ってしまったそうで…とにかく代わりのないものだったらしく、困り果てているのを見かねた奥さんのおかめさん、旦那のために知恵をしぼって、枡組という方法を使うことを思いつき、旦那の棟梁は無事お寺を完成させることができました。でも、奥さんの知恵で自分の失敗を乗り切ったなんてことが知れたら、旦那さんきっと恥をかく…そう思ったおかめさん、上棟式を待たずに自害してしまったとか。旦那さんはおかめ塚を建て、上棟式にはおかめさんに似せた福面をつけた御幣を飾っておかめさんの冥福を祈ったそうで、現在でも上棟式ではこうした御幣が使われるそうです。 おかめさん、その思惑とは裏腹に、旦那さんの失敗を今に伝えることになってしまったわけですが…おかめさんの思いが天に通じたか、このとき建てられたお寺は現在国宝となり、おかめさん自身は厄除け・招福の象徴として信仰されています。
幸せそうににっこり笑ってる「おかめ」さんに、そんな過去があったとは… 意外な真相を胸に、さらに千本通りを北上。 ![IMG_0116.jpg](https://image.space.rakuten.co.jp/lg01/18/0000911518/63/img65dbaa85zikczj.jpeg)
次に向かったのは釘抜き地蔵、正式名称は石像寺とおっしゃるそうです。
とても和やかな雰囲気のお寺ですが、門をくぐるとぎょっとします、なにしろ… ![釘抜き地蔵3.jpg](https://image.space.rakuten.co.jp/lg01/18/0000911518/26/img52c7d303zik4zj.jpeg) これですから…子供なら、泣いちゃいますよ。
境内にあるお堂は、釘と釘抜きの絵馬で埋め尽くされております…
これで、御本尊がお地蔵様とくれば思い出さずにはいられないのが、閻魔様。
…と、思ったのですが、どうもこちらの釘抜きはまた意味合いが違うようです。 由来書きによるとこちらの釘抜き地蔵様、以外にも創建は古く、弘仁10(819)年弘法大師様の開基とされています。最初は釘抜きではなく、「苦抜き」地蔵様だったのですが、ここにまた一つのお話が。 弘治2(1556)年頃…年代がとかくはっきりしてるのが京都流のようですが、京都の大商人紀伊国屋さんが、原因不明の手の痛みに悩まされ、苦抜き地蔵に願掛けしたところ、夢にお地蔵さまが出てきて「お前の手が痛いのは病気ではなく、お前が前世で人形の手に釘を打って他人を呪った報いだ。私の神通力でその釘を抜いてやろう」というようなことをおっしゃって、示されたのが二本の釘。で、目が覚めてみると、紀伊国屋さんの手の痛みはすっかり治っていたので、急いで苦抜き地蔵様にお参りに行くと、地蔵様の像の前に血に濡れた八寸釘が置かれていたとか。 それ以来、苦抜き地蔵様は「釘抜き地蔵」様として信仰されるようになったそうです。
舌を抜くんじゃなかったんですね。
でもきっと、これが地蔵さまじゃなかったら、こんなことにはならなかったんじゃないかと思うのは…わたしだけでしょうかね。 さて、いよいよ道は蓮台野の入口へ。 ![千本えんま堂.jpg](https://image.space.rakuten.co.jp/lg01/18/0000911518/77/img946b559bzikbzj.jpeg)
こちら千本えんま堂、正式には「引接寺」は、蓮台野の入口にあたるお寺。
ちなみに「引接」とは「引導」と同義だそうです。
ご本尊は言わずと知れた閻魔様、脇侍(?)には司命・司録のお二方という、まさにえんま堂なこのお寺、そもそも小野篁さんが御懇意にしている閻魔様から、精霊を現世に迎える秘法を教えられ、それを人々に伝えるためにお堂を建てたのが始まり。
開基は小野篁、開山はあの地獄のテキスト「往生要集」を書いた源信さんの法弟、定覚上人という、閻魔様をご本尊にするにたいへんふさわしいお寺です。 今でも、お盆の精霊迎え・送りのときにこの千本えんま堂で撞かれる鐘は、本来は死者を蓮台野に送るときに撞かれたものだとか。
現在では面影がありませんが、閻魔様を祀るこのお寺は、当時まさにあの世とこの世の境界としてとらえられていたのでしょう。洛中のほど近く、現在では市街地になっているこのあたりが、当時はもう異界だったわけです。平安時代、人間の力がまだまだ弱い時代だったんですね。 それにしても…蓮台野に広がる町を見ながら、千年あれば異界も人の世に変えてしまう人間の強さをしみじみと感じました。 といったところで、次回へ。 よろしければ、どうぞ↓ にっこり、おかめさん。 |