785219 ランダム
 HOME | DIARY | PROFILE 【フォローする】 【ログイン】

すりいこおど-1970年代周辺の日本のフォーク&ロック

すりいこおど-1970年代周辺の日本のフォーク&ロック

【毎日開催】
15記事にいいね!で1ポイント
10秒滞在
いいね! --/--
おめでとうございます!
ミッションを達成しました。
※「ポイントを獲得する」ボタンを押すと広告が表示されます。
x

PR

Keyword Search

▼キーワード検索

Profile

すりいこおど

すりいこおど

Calendar

Category

カテゴリ未分類

(3)

1967

(0)

1968

(0)

1969

(5)

1970

(6)

1971

(9)

1972

(11)

1973

(11)

1974

(9)

1975

(13)

1976

(12)

1977

(11)

1978

(5)

1979

(5)

1980

(4)

1981

(1)

1982

(0)

1983

(0)

1984

(1)

after1985

(0)

LPジャケットギャラリー

(3)

歌紀行

(8)

Comments

 J佐藤@ Re:KEEBOW「GIVE ME A KISS」(1975.11.21 ポリドール MR5069)(07/15) 私も高校の同級生から本盤を76年にもらい…
 石川Q右衛門@ Re:「古い船をいま動かせるのは古い水夫じゃないだろう」(1970.3 ユーゲント)(03/02) 何度もこの記事を読んでますの。正解も出…
 ごむてつ@ Re:ノラ「ノラ VOL.1」(1973.5.10 アードヴァーク AV-3004)(11/10) デビューした頃、テレビ神奈川のヤングイ…

Freepage List

Favorite Blog

まだ登録されていません
2011.11.10
XML
カテゴリ:1973
いろんな時代にいろんな人達がビートルズに出会い、触発されている。
それはきっと2011年の現代においてもそうであるだろうし、これから先もそうなんだろうと思う。

1966年6月30日から7月2日にかけて行われたビートルズ来日公演。
幸いにも武道館でそれを体感した早川義夫('47.12.15生れ)、財津和夫('48.2.19生れ)、沢田研二('48.6.25生れ)、松本隆('49.7.16生れ)、萩原健一('50.7.26生れ)、仲井戸麗市('50.10.9生れ)、五輪真弓('51.1.24生れ)といった10代の若者達にももちろん多大な影響を与えたであろうし、1966年7月1日夜9時に日本テレビ系列で全国に放送された来日公演の模様を中高生をはじめ、数え切れない程の若者がかぶりつきで観たのだろうと想像される。

当時16才だった矢沢永吉('49.9.14生れ)も1968年3月、高校卒業と同時に広島から横浜へ上京、ビートルズの影響を強く受けながらバンド活動を始めていく。いくつかのバンドを経て1969年に明治大学在学中の木原敏雄('49.11.25生れ)・大森正治らと"ヤマト"を結成している。
一方、のちに木原敏雄・大森正治と共に矢沢永吉の強力なブレーンとなる相沢行夫('49.10.19生れ)は北海道芦別市の高校を卒業後、神奈川大学に進学して"イーグルス"というバンドに参加している。"ヤマト"と"イーグルス"は横浜を中心に活動していくなかで、知り合っていくことになる。
プロを目指していたとされる"ヤマト"だったが1972年に解散。
矢沢永吉はビートルズスタイルのバンドを目指すべくメンバー募集の貼り紙を出して、集まったジョニー大倉、内海利勝、相原誠と"CAROL"を結成している。

一方相沢行夫は同じ神奈川大学の杉浦芳博('49.7.10生れ)と共に(ここまでの二人の関係は不明)、1970年TBSラジオの人気番組"ヤングタウン東京"が募集したバンドのオーディションを受けて合格、翌1971年"ヤングタウンシンガーズ"として東芝から「風船旅行/青春白書」でレコードデビューを果たしている。リードボーカルは杉浦芳博。同グループにはやはり大学生だった萩原信義がいた。相沢行夫・杉浦芳博・萩原信義ともにいずれ劣らぬギターの腕の持ち主だったようだが、番組に出演した浅川マキが萩原信義のギタープレイを気に入り、浅川マキのバックでアコースティックギターを弾くようになっていく。71年の大晦日に収録された浅川マキの3rdアルバム「浅川マキ・ライブ」では今田勝・稲葉国光・つのだひろといった強力メンバーに混じって萩原信義がギターを弾いていて、「朝日楼( 朝日のあたる家)」では杉浦芳博も12弦ギターで登場して萩原信義とともにツインギターを聴かせている。素晴しい演奏だ。萩原信義はその後も浅川マキの重要なパートナーになっていくことになる。

ここからのいきさつは不明だが、相沢行夫(g,vo)・杉浦芳博(vo,g)は松田良一(b,vo)・石田斎(g)と共に"ノラ"を結成している。
ビートルズスタイルを目指して結成された"CAROL"と同様に、"ノラ"もまたビートルズから強いインスパイアを受けたバンドであった。

"CAROL"は1972年9月、フジテレビ"リブヤング"に強烈なインパクトを持って登場し、その生放送を見ていたミッキー・カーティスがすぐさまフジテレビに電話を入れて、"CAROL"のプロデュースを申し出たというエピソードはあまりに有名だ。"CAROL"は1972年12月20日「ルイジアンナ/最後の恋人」でスピードデビュー、7ヶ月連続シングルリリースという破格の扱いで翌73年3月25日にはファーストアルバム「ルイジアンナ」をリリースしている。

一方の"ノラ"は73年3月シングル「懐かしのメロディー/風にまかれて」でレコードデビューしている。そして5月10日、このアルバム「ノラ VOL.1」を発表。

聴いた方はご存知と思うが、明らかにビートルズの影響下にあるこのアルバム、聴けば聴くほどいいのだ。


針を落とすと、ロックンロールナンバー「あの娘に首ったけ」(相沢行夫作詞・作曲)で軽快に始まる。そして2曲目の「アン」(田口淑子作詞・相沢行夫作曲)へ。
なにが凄いかって、日本語の乗りの良さだ。"CAROL"はあの独特の日本語英語であったし、その他のバンドも日本語ロック論争を引き合いに出すまでもなく、ロックンロールにいまいちフィットしていない歌詞の曲が多いのだが、ノラの場合全く違和感を感じさせない日本語ロックンロール・ラブソングなのだ。
そして3曲目のスローナンバー「今日から君は」(相沢行夫作詞・松田良一作曲)へ。とってもビートルズなのだが、本当に信じられないくらい日本語なのだ。4曲目「二人の唄」(松田良一作詞・作曲)と共にメロディラインもいいし、松田良一の歌声もちょっと荒削りなコーラスも、サウンドも、なんだかとってもいい。
5曲目「春だもの」(杉浦芳博作詞・作曲)もとっても素敵なメロディ。杉浦芳博の歌も味わいがある。サポートで入っている深町純やジョニー山崎(ジョン山崎?)のオルガンもさすがに的を得ている感じ。
そしてなんと言ってもアルバムの白眉はA面ラストの「風にまかれて」(相沢行夫作詞・作曲)だろう。

「くるくる周りつづける
 風車のように
 君は踊りつづける
 風にまかれて

 君は木の葉といっしょに
 灰色の空を見上げて
 笑いながら昇るよ
 風にまかれて

 ルララララ ルララララ
 どこまで行くの
 僕の知らない遠い国まで

 風の中を一人で
 僕はたたずむ」


秀逸のメロディライン、松田良一の哀愁のある歌声、相沢行夫のギターフレーズ。ビートルズの影響がどうのこうの言う前に、たいへんな名曲だと思う。
前年やはりビートルズの影響が強いとされる"チューリップ"がアルバム「魔法の黄色い靴」でデビューしている。素晴しいアルバムだが、ミディアムもしくはスローテンポなナンバーが中心で、ストリングスを多用している。比べるようでなんだが、「ノラ VOL.1」はストレートなロックンロールの間にポンとスローナンバーが挟みこまれていて印象的だ。控えめなストリングスがまたいい。

ラブソングで統一されたA面から一転してB面は「デゾ・エレロ」(ノラ作詞・杉浦芳博作曲)、「悪魔の宴(うたげ)」(相沢行夫作詞・松田良一作曲)と続く。全体的に洗練されたアルバムにあって「悪魔の宴(うたげ)」はわざと崩したかったのか・・・・?B-3「素敵なロージィー」(魔々法子作詞・相沢行夫作曲)、B-4「静かに」(杉浦芳博作詞・作曲)と一曲ごとに曲調がまったく異なる。言ってみればビートルズの影響下から離れているのがB-1~B-4ということになるのだろうか。デビューシングルとなったB-5「懐かしのメロディー」(杉浦芳博作詞・中村小太郎補作詞・杉浦芳博作曲)は、誰が聴いてもビートルズの有名曲に似ている。が、それをあえて「懐かしのメロディー」と命名したことにミソがあるのだろう。ラストの「恋をしようよ」(杉浦芳博作詞・中村小太郎補作詞・杉浦芳博作曲)もいい曲だ。


個人的にはホントにいいアルバムだと思う。何度も聴いているのに飽きないのだ。
何がいいかって、繰り返すようだが、日本語の乗りがいい。


1973年10月には2度目の来日をした"T・REX"武道館公演のオープニング・アクトをつとめたとされている。
が、1974年3月に出した3rdシングル「レンガ路・愛が始まる時」を最後に、その後解散している。


石田斎作詞・杉浦芳博作曲で同じキャニオン・アードヴァークからデビューした"とんぼちゃん"に「銀色の囁き」という曲を提供している。デビューアルバム「貝がらの秘密」(74.11.10 アードヴァーク AV-3017)に収録されたこの曲は、先日の神崎みゆき作「公園通りの情景」と並びいい曲で、翌年デビューした"絵夢"のデビューアルバム「絵夢」(75.6.25 シー・ソー AV-3024)にも収録された。
同年杉浦芳博は、テレビ番組「スーパーロボット・マッハバロン」を歌ったかと思えば、1975年12月に収録された浅川マキのアルバム「灯ともし頃」では、「それはスポットライトではない」などでギターを聴かせている。


相沢行夫は、1975年4月に解散した"CAROL"の矢沢永吉のソロデビューに際し、作詞を担当。デビューアルバム「I LOVE YOU,OK」(75.9.21)の全12曲のうち、タイトル曲を含め7作の作詞を手掛け、翌年からは矢沢永吉のコンサートツアーにギタリストとして参加している。
矢沢永吉と"ヤマト"を組んでいた木原敏雄や大森正治も"チャチャ"というバンドを経て、のちにツアーメンバーとなっている。そして1981年、矢沢永吉が本拠地をアメリカに移したのに伴い"矢沢ファミリー"と呼ばれたバンドは解散。相沢行夫と木原敏雄の2人は10月に"NOBODY"を結成している。


松田良一はノラの解散後ソロ活動を経て、"NOBODY"にコーラスとして参加。80年代以降は作曲家としてアイドルを中心に楽曲を提供している。


そうした才能が集まっていたのがノラであったのだろう。
結成のいきさつも、解散のいきさつも不明だが、残された1枚のアルバムは実にいい。





お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう

Last updated  2011.11.10 15:51:26
コメント(5) | コメントを書く


■コメント

お名前
タイトル
メッセージ
画像認証
別の画像を表示
上の画像で表示されている数字を入力して下さい。


利用規約に同意してコメントを
※コメントに関するよくある質問は、こちらをご確認ください。


 ありがとうです   Christy さん
ん~っNORA知らなかった
知らなかったの三連発です。

(2011.11.13 19:10:29)

 Christyさん!   すりいこおど さん
>ん~っNORA知らなかった
>知らなかったの三連発です。

Christyさんには詳しい専門分野があるじゃないですか。僕はこの分野しか知りませんから… (2011.11.15 18:29:46)

 脱帽です   popgear さん
よくご存知ですねぇ。
感心することしきりです。 (2012.07.09 23:10:19)

 Re:ノラ「ノラ VOL.1」(1973.5.10 アードヴァーク AV-3004)(11/10)   ゆうゆうゆう さん
NORA大好きでした。解散したのが無念で、かなり寂しくなった自分を思いだしました。 (2015.02.09 13:13:30)

 Re:ノラ「ノラ VOL.1」(1973.5.10 アードヴァーク AV-3004)(11/10)   ごむてつ さん
デビューした頃、テレビ神奈川のヤングインパルスと言う番組によく出ていましたね。いいバンドだと思ったのですが、「懐かしのメロディー」はやはりまずかったのでは?
ビートルズのカバーもほぼそのままでカバーというよりコピーだったし。 (2020.11.21 18:42:22)


© Rakuten Group, Inc.