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テーマ:ニュース(99710)
カテゴリ:事件
もう1週間がたってしまいましたが、いつも心の隅に焼きついていた幼稚園児殺害事件について書きたいと思います。
子どものお友達を殺してしまったお母さん、、、いったい何が原因だったのでしょうか? ネット上には、容疑者が中国人だという事が必要以上に強調され、日本から中国人を追い出すべきだ、、などと煽っているブログもありました。 このような人種差別発言は問題外として、事件の本質を考えていくためには、どうしても加害者の側に寄り添った視点がなければ、真の原因にたどり着くことができないと、私は思います。 被害者の心情を大切にする方が先だ、という意見もあるかもしれませんが、事件を究明することで、被害者が少しでも心の置き所を見つけ、さらに第2第3の犯罪を防ぐという意味では、加害者の置かれた状況、心情などを冷静に分析する必要があると思います。 人が人を殺す、、、、それは最後に残された最悪の選択だと思います。 しかし、殺人者にとっては、殺さなければ自分が生きていくことができないと感じての究極の選択だったとしか言いようがないのではないでしょうか? 一部の頭のおかしい快楽殺人者は別として、今回の事件の容疑者に関しては、殺人を趣味とする変態ではないことだけは確かだと思います。 事件の原因を考えるポイントとしては、幾つかの要素があると思います。 一つは、彼女がお見合い業者によって中国の貧しい農村から日本の嫁不足の農村に嫁いだ花嫁だったということです。 イマドキの日本で「嫁」ですよ。 嫁というのは家にとっては子産みの道具であり、労働力、そして夫の付属物のようなものです。 決して夫婦対等な関係にあったとは思えません。 加えて言葉の問題もあり、夫婦の意思疎通があったと容易に推測できます。 育児のストレスや近所付き合いの悩みを抱えた主婦はいくらでもいます。 それを乗り切るためには、夫の理解と協力が不可欠なのです。 中国人の奥さんをもらうにあたって、夫となった人は、ちゃんと中国語を勉強して、妻になる人と心を分かち合う用意があったのでしょうか? 妻だけが一方的に日本語を学んでも、お互いの意志疎通は難しいでしょう。 誰か1人でも、彼女の心を理解し、支えてくれる人がいたなら、今回の事件は起こらなかったのではないでしょうか? そしてもう一つは、幼稚園の対応です。 なぜ、強制的に集団送迎を親に押し付けなければならなかったのでしょうか? 右にならえ式で、個別の事情を無視して、すべての人に同じことを押し付けるやり方は、日本の悪しき伝統だと思います。 加害者本人、そして被害者の親たちも個別送迎を願っていたのに、どうしてきちんと意見をきかなかったのでしょうか? 幼稚園の事なかれ主義でしょうか? どうしても集団送迎が必要なら、幼稚園バスの検討をしても良かったのでは?と思います。 口は出すけど、手はかけたくないってやつですかね? そしてもう一つは、日本人的排他主義かな。。。。。 特に幼稚園ママにありがちな、過剰な仲間意識と排他主義。 お母さん同士の必要以上にべたべたとした半ば強制的なお付き合い。 お茶飲みやランチなど、ひんぱんに誘われるのが重荷になっているという話をよく聞きます。 断ると仲間はずれになるので断りきれない、という悩みを抱えるお母さんも少なくないようです。 私もかつては経験があります。 くだらないうわさ話ばかりの井戸端会議が苦痛で、なるべくそういう輪に加わらないようにしていましたが、「時々は顔を出さないと変人扱いされるかもしれない」という強迫観念に悩まされたことがあります。 鄭容疑者が、そういう日本的ムラ社会になじめなかったことが、事件の要因としてあるだろうと思います。 最後に、本人の資質にも問題があったと指摘する報道があります。 キレやすい性格だとか・・・・。 しかし、一方では向上心の強いしっかりした女性だという話もあります。 今回の事件は、容疑者の持つ資質が、最悪の方向に引き出された結果起こった惨劇だといえます。 容疑者の人間性を、冷酷だとか残忍だとかいって批判しているだけでは、事件の本質は何も見えてこないことだけは確かです。 昨日の朝日新聞に載っていた芹沢一也・京都造形芸術大非常勤講師の意見、「治安管理の強化は逆効果」に共感します。 「不安に煽られた防犯活動を「運動」にしていくと、排他的な同調性が高まるだけ。今の治安管理型社会の行き着く先は、社会から雑菌をなくすようなものだ。漂白された社会に誰が住むのか?」 今、欧米ではテロリストを排除するための排他的治安管理社会が台頭しています。 日本ではテロが少ない分、犯罪によって排他的治安管理社会が進行しつつあるように思います。 今の治安管理型社会の行き着く先は、社会から雑菌をなくすようなものだ。 今のような社会の行く末には、より強力なテロリストの台頭、より凶悪な犯罪が生れる要素が十分あると思われます。 つまり、、、、人間は細菌を駆逐しようとして抗生物質を乱用した。その結果、抗生物質が効かない耐性菌が生まれ、人間を脅かすようになったのと同じことが起こるのではないでしょうか? 治安管理型社会ではなく、多様性を受け入れるバリアフリーな社会こそが、誰もが安心して幸福に暮らせる社会だということに早く皆が気付いてほしいと願わずにいられません。 お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
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