|
カテゴリ:カテゴリ未分類
ボランティア作業を終えた私達は、再びバスに乗って宿泊するホテルに向かいました。
宿泊地は仙台に近い、松島という日本三大景勝地。 オシャレな感じのリゾートホテルに到着。 わっ、思っていたよりいい感じのホテル 部屋の窓からは風光明媚な松島の海が見えて感激 松島の海は、小さな島が浮かぶとても素敵な眺めです。 現地で聞いた話によれば、この小島群が堤防代わりになってくれたおかげで、この一帯は津波の被害が少なかったそうです。 せいぜい床下床上浸水ていどだったそうで、海岸沿いに建ち並ぶ御土産店や飲食店はほとんど無傷の状態で営業していました。 この美しい風景がこの街を守ったんですね さて、宿に着くと、一人参加者は男女別相部屋で2人~4人ずつに部屋割りを指定され、かぎを受け取り各自部屋に。 私は2人部屋で、同室になった方は同じくらいの年齢と思われる人でした。ホッ でも、相手は私を30代半ばくらいと思っていたみたいでした(←ここ強調(笑)ホントです) 年齢を聞かれて答えると、その方のほうが私より6つも年下でした(爆) ま、歳より30もサバ読まれるのは悪い気がしませんでした。 一応、「精神年齢が30歳なんですよぉ~」と言っておきました 夕食はそれぞれ近くの飲食店に行くということで、2人組で来ていた同世代くらいの方達に誘われて同室の方と一緒に、おばさん4人組で夜の街(?)に繰り出しました。 ツアーガイドの人に渡された町内マップと、ホテルの従業員に聞いたグルメ情報を頼りに歩くこと5分・・・・。 5分も歩けば商店街に出る・・・と言われていたのに、行けども行けども山の中。ドンドン暗い道になっていくので、さすがにおかしいと思いました。 ちょうどY字路のところに標識があったので見ると、何と私達は逆方向に歩いていたようです・・・・・ も少しで山の中で遭難(?)するところでした(笑) ↑ 地図の読めない女たち軍団???危ねぇ~~~ それで、もと来た道を戻り、地図を見ながら松島駅に向かって歩きました。 ホテルから駅まで徒歩5分ほどでした。 しかし、歩けど歩けど飲食店は閉まっていて、やっと見つけた牛タン屋の店先は大行列。(店がそこしかないので皆が来ていた) どうしようかと思いましたが、1人の人が「もう少し先に行くと寿司屋があるってホテルの人が言ってた」というので、それを信じてさらに薄暗い商店街を歩きました。 もうダメかと思ったら、横に入った路地に寿司屋の看板が~~~~ 山で遭難した時に救助隊に出会った時のような感動で、「きゃぁ~~~」と叫びながら、4人のおばちゃん達は寿司屋にダッシュ 寿司屋は駅から離れているせいかほとんどガラガラで、私達の貸し切り状態。さっきの行列に並んでいた人達に知らせてあげたい気分でした。 3人が取りあえずのビールを注文。 もう1人の人は、「皆がつぶれた時には、私が介抱するから」とウーロン茶を注文。 アルコール派の3人は私を含んで、皆イケル口で、どんどん酒がすすんでしまい、話も盛り上がって、ほとんど貸し切り状態の店には、おばちゃん達の笑い声が響いていました・・・・ 特に感動だったのは、仙台の地酒「浦霞禅」が飲めたこと ビールの後に、禅を冷で2杯いきました。 寿司や肴も旨くて、一同大満足でした。 初めて会った人達と一緒に、これだけ盛り上がれるなんて、すごいな・・・ 年齢もほぼ同じくらいだし、主婦ならではのいろんな共通の話題がたくさんあったからでしょうね。 皆、良い感じで出来上がっていたので、帰りはタクシーを呼んでもらいました。 しらふの一人の方に会計の計算をお願いしました(笑) その後無事ホテルに帰ってから、同室の方と夜1時過ぎまでいろいろ話し込んでから就寝。 昼間の疲れもあったので、やがて爆睡 ところが、夜明け前の4時前頃、突然、地の底から響いてくるような激しい揺れで眼が覚めました。 「アッ、地震だ」 もしかしたら・・・という予想はしていましたが、まさかこんなに大きい揺れだとは 後で知ったことですが、震度4でした。 ちょうど大震災の時の私の住んでいる所と同じ震度なので、相当な揺れだったんだと思います。 しかも、今までに経験したことがない、下から激しくドンドンと突き上げるような揺れ方でした。 隣に寝ていた相方が「地震よ」と私を起こしてきました。 私は寝ぼけながらも、「うん、起きてるよ。でも大丈夫だよ。このホテルは大震災でも倒れなかったんだし、この部屋には上から落ちてくる危険物はないし」などと、冷静な言葉を発していました。 それで私は、その後すぐに睡魔に襲われて再び爆睡・・・・どんだけ図太いんだ自分と後で苦笑。 同室の相棒は、とうとう朝まで眠れなかったそうでした・・・ 私って、サバイバルに強いタイプかもしれないな・・・。 そう言えば3月の大震災の時も、結構冷静でした。 東京郊外のデパートのレストランの8階にいたので、尋常ではない揺れ方をしていて、お客はキャアキャア叫びながらテーブルの下にもぐり、店員さんまでがパニクっていた時に、「まぁ、死ぬ時は死ぬんだしナ・・・」と思いながらも、私は結構平常心でいて、青ざめている店員さんに活を入れてました。 観光にお金を使うのも震災復興の一助、ということで、ボランティアの翌日は松島と仙台を巡る観光でした。 義援金を出す気持ちでお土産をどっさり買い込んで、財布の中身がすっからかんになりました(笑) で、最後は残金千円札1枚・・・ということになって福島県で昼食・・・ こりゃあ、千円以下の物しか食えないな・・・と思っていたら、クレジットカードOKということで、「ラッキ~~」と、またまた豪勢に食べて、福島の復興支援のためにお金を使いました(笑) ついでに小雨にもぬれて、軽く被曝も・・・・ この辺りはどのくらいの放射線量あるんだろうな?と、ちょっと気になりました。 やがて、バスは1時間ほど遅れましたが、無事新宿に着いて、一同解散 2日半を共に過ごした仲間たちとお別れです。 別れ際に、いろんな人達が笑顔であいさつしてくれて、本当にうれしい気持ちでした。 ついこの間までは見ず知らずの他人だったのにね。ふしぎですね。 温かい絆で結ばれた友達との別れを惜しむような気持ちになっていました。 震災ボランティアという活動を通して、私達は人と人がつながり合うことの大切さを実感したのだと思います。 見知らぬ者同士でも、一つの共同作業を通して、何かふしぎな絆で結ばれたような気持ちになれました。 ボランティアを終えたら、またそれぞれが自分の場所に帰って行きます。 でも、この体験はきっと一生忘れることのできない宝になるかもしれません。 睡眠不足と肉体労働で、本当ならクタクタに疲れているはずなのですが、ふしぎとほとんど疲れを感じていません。 心が喜んでいるので、体もすごくラクなんです。 出かける前にいろんな人から、「無理しないでね」「体調に気をつけてね」といろいろ心配していただきましたが、本当に快食快便(爆)で、楽しく美味しくボランティアを終えることができました。 ほんのちょっぴりしかできなかったかもしれませんが、被災地の方にも喜んでいただくことができました。 最終日には観光もグルメも楽しんで、本当に実りある時間を過ごしました。 皆さんも、もし機会があれば、ぜひボランティアツアーに参加してみてください。 今しかできないこの時に、誰かの役に立つことができるチャンスです お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
Last updated
2011.08.01 18:23:33
コメント(0) | コメントを書く |