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カテゴリ:行政
Facebookで見つけたMotoko Hana Tanakaさんの記事以下。地域づくりについて考えるのに参考になりそう。
うちの近所のコンビニです。最近ここで、革命が起きています。 親子で経営してるっぽくて、私が立ち寄ると、愛想のないジジイのときが多いんだけど、息子さんが店に立ってからのココが、とにかくすごいんだ。 かつては棚もスカスカな、さみしいデイリーだったんだけど、ある日気付いたら、レジの後ろの、ほら、誰も買わない贈答品が展示されるようなスペースあるじゃん、あそこに、レコードジャケットが飾られるようになったの。 それに続いて、店内のミュージックも変化。そういや以前は無音だった。ミュージック、明らかに息子さんのセレクト。超、趣味の領域。超、私物化。でもそれがいい。 そして店の片隅には、いつの間にか、BARコーナーが出現!まだ小さな立ち飲みスペース程度なんだけど、今日息子さんに訊いたら、来年は椅子を用意するつもりだって話してた。おお、やる気だ! でも現時点でも、立ち飲みしていくひとがチラホラ現れていて、息子さんは手が空いてる時、お客さんと一緒に、そこで会話したりしてるの。なんだか、すっごくいい感じの、コミュニティスペースになってるんです。 もう、感動。ダメコンビニを、こんな素敵な場に変えてしまった彼のセンス、本当に素晴らしい。大したお金はかかっていないはずなんだけど、通りの雰囲気からして、明らかに変わったの。 個別カスタマイズが難しそうなコンビニ。だけど、ほんとはこうして、その地域に根ざしたコミュニティスペースとして開かれることに、まだまだ可能性がある気がしました。 こういうのってすごく好き。Facebookの方でも話題になってきているようで、100人近くがシェアしているし、コメントも肯定的なものばかり。みんなこんな前向きな取組が好きなんだろう。自由でいい。 しかし、行政とかの視点だと「え!?音楽流して、著作権は?」とか「飲食やる許可はあるのか?」とか色々突っ込まれそう。ルールは大切だけれど、こういう場合の指摘って違和感ある。というのは、前向きにやろうとしている人がいて、それを悪いことをしている人を取り締まるためのルールで判定するというところに。そして、地域の人はそれを許容し、むしろ肯定しているところにちゃちゃを入れる感じになると残念。 守るべきところは守るべきだけれど、「ルールがこうなっているからともかくだめ!」という感じではなくて、「こうこうこういう危険があるから、この部分は少し変えてください。この程度ならいいね」「うーん、ここはルールもグレーだから、こういう恐れがあることを認識して、自己責任でやってください」ぐらいな、協力する形でやれたらいいと思う。 地域の花壇なんかもこのようなニュアンスで、市の土地であっても地域の人が手入れしてくれていたりする。厳密にやれば、「ここは市の土地だから、勝手に花を植えないでください」と言うことができるけれど、それは言わない。それはルールは少し横において、これくらいならいいだろう、花があることで地域が明るくなる、と地域と阿吽の呼吸でやっているところがある。でも、災害などで必要になったら撤去するよ、という条件付きで。 世の中のことを全部ルールで縛ることなんて無理だし、息苦しくなるだけでやるべきでもない。ルールに明確に反していたらやむを得ないかもしれないけれど、ルールの趣旨を考えて許容できる範囲で、周囲の人にも迷惑がかからなければ良しとするぐらいの方が地域は豊かになるのではないか。 ルールを厳密に適用するという姿勢があるだけで、創造性や前向きな取組が委縮してしまう。 規則で安全は守れるけれど、ハッピーは作れない。ハッピーは創造力だとか、前向きな取組でできる。どちらを重視すべきか、状況に応じて柔軟に判断したい。 おそらく、僕がMotokoさんの記事を勝手に引用しているのはルール違反で、Motokoさんに訴えられたら勝てないと思う。でも、そんなことはされないと分かっているから、こうやって書けるんですね。 ヤマザキショップ頑張って欲しい。 お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
最終更新日
2014年01月11日 14時51分17秒
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