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カテゴリ:京都の歴史と文化
昨日、藤原道長の父兼家が花山天皇を無理に落飾させ(在位二年)娘の詮子の産んだ子供を 一条天皇として即位させた話をしています。 その子供の藤原道長はもっと強運の男です。 その一条天皇の中宮は道長の兄に当たる道隆の娘定子です。そのために一条天皇は、道長よりも道隆の息子(伊周)に目を掛けていたのです。 しかしながら一条天皇の生みの母詮子が道長の味方で、強運も手伝い全盛時代が訪れます。 66代一条天皇、67代三条天皇のところには、一帝二后の異常な形です。こうして道長は、自分の娘の三后、四后の時代を迎えるのです。 「この世をば我が世とぞ思ふ望月の、欠けたることもなしと思えば」 の歌を残している。 一条天皇の中宮には、藤原道隆の娘定子がいる。「枕草子」を書いた清少納言が家庭教師役です。そこの中宮とした藤原道長の娘彰子には家庭教師として紫式部をつけたのです。 道長は、一条天皇が娘のところに通ってくるように面白い物語「源氏物語」をスポンサーとして所望したのです。これこそが世界一といわれる「源氏物語」誕生の裏話です。 こうして吉野の金峯神社に埋経や皇子誕生の祈願をし、待望の皇子誕生(後一条天皇)につながります。これが1008年なので源氏物語1000年紀は昨年です。 源氏物語は「若菜上」「若菜下」が最も迫力があり圧巻です。 宇治十条はずっと後の時代に書かれたようです。 (写真上)源氏物語「若菜上」柏木と女三宮が激しい恋に落ちる出会い (写真中)天皇系図と中宮、紫式部、清少納言の位置づけ (写真下)道長が皇子誕生祈願の吉野水分(みくまり)神社 お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
Last updated
2009.07.08 06:33:43
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