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カテゴリ:奈良の歴史と文化
奈良.吉野.竹林院(群芳園)
吉野山にあります竹林院(群芳園)をご紹介します。 聖徳太子が吉野山に来られたとき一宇の精舎を建て椿山寺と称する。 その後、天武天皇は専ら御願施物を寄せています。 大海人皇子(天武天皇)が壬申の乱(672年)で挙兵するまでの8ヶ月余りを過ごした所が吉野の宮滝(天武天皇母の斉明天皇の宮)のようです。 源義経が逃げて来たとき、頼朝より追討の書が当院に寄せられています。 竹林院正面 南北朝の対立後、後小松天皇(第100代.南北朝統一の天皇)の勅命により竹林院と改称されています。 第23代院主の尊祐は桃山時代に大弓法師と呼ばれ、弓道竹林流の開祖です。 池泉回遊式庭園は群芳園と言い豊太閤吉野観桜の際、千利休が築造したもので桃山中期の名園として大和三名園の一つと言われています。 群芳園より近くの金峯山寺.蔵王堂を観る 大和三名園は大和郡山の慈光院、當麻寺中之坊庭園です。 特徴は武家書院好みで二重集団二重護岸の石組は室町時代の作風を伝え奥庭の池中には七五三の作庭の手法により島が配置されています。 頂上の展望は模範的な四周の借景園です。
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Last updated
2010.12.06 06:45:41
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