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テーマ:城跡めぐり(1250)
カテゴリ:城跡と史跡(静岡編)
お花見を兼ねて城跡めぐりに行きました。(「どっちがメインなの?」って感じですが…)
まず向かったのは、静岡県沼津市にある興国寺城、ここは北条早雲が最初に城主となったお城です。 グーグルアースで見た興国寺城。 実際には、こんなに大きな曲輪が広がっています。 二の丸 二の丸付近から見ると、広大な芝生の向こうに大きな土塁のようなものが見えました。 二の丸から見た本丸と天守台 手前の芝生広場が本丸で、向こう側の土塁が天守台です。 本丸はかなり広く、本丸東側を囲む土塁も相当な高さがありました。 本丸東側の土塁。 本丸外側に回って見ると、土塁を見上げる感じでした。 スケールの大きさにただビックリするだけですが、さらに驚いたのは、天守台のすぐ北側にある「大堀切」です。 堀切の底に立つと、はるか頭上に天守台を見上げる格好となりました。 この見事な傾斜を持つ土塁や深い堀切など、まさに北条流築城術の原点を見た気がします。 その大堀切を挟んだ北側には、さらに広大な「北曲輪」がありました。 北曲輪。 その向こう側には茶畑がありますが、「清水曲輪」の跡です。 清水曲輪の向こう側に架線が見えていますが、すぐ北側を東海道新幹線が通っており、新幹線の風切音が静寂を突き破って行きました。 本丸東側の堀切の向こう側には、「船着場」の跡があります。 昔はこの辺りまで海があり、沼地だったようです。 興国寺城の築城時期については明らかではありませんが、伊勢新九郎長氏が今川家の相続争いをまとめた功績により、その恩賞として与えられた城です。 この伊勢新九郎長氏こそが後の北条早雲であり、その北条早雲が初めて城主となったのが興国寺城でした。 北条早雲は韮山城に移るまでの間、この興国寺城を拠点としていました。 韮山城は北条早雲が最初に築いた城ですが、興国寺城は北条早雲が初めて城主となった城です。 関東の覇者北条氏の快進撃のスタートが、まさにこの興国寺城でした。 興国寺城主となった北条早雲は、領民を愛し、破格の低税率で領国経営を行いました。 小田原の城下町も同様の経営で発展したことを考えると、先見の明があったと言えるでしょう。 天守台からは、その北条早雲の城下町がよく見渡せます。 北条流築城技術の高さは有名ですが、この城郭を見るとそれも納得です。 実際に武田信玄も、この興国寺城と韮山城は落すことができませんでした。 北条流築城術で造られた城は、関東の各地で難攻不落を誇り、その城下町は目覚しい発展を遂げてきました。 その全ての原点が、ここにあるのかも知れません。 箱根の坂(上)新装版 箱根の坂(中)新装版 箱根の坂(下)新装版 お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
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