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テーマ:史跡めぐり(508)
カテゴリ:城跡と史跡(山口編)
下関は何かと歴史の舞台に登場してくる場所だと思うのですが、何かが終わって何かが始まる場所のように思います。
1895年の日清講和条約もその1つで、いわゆる「下関条約」が締結された場所であり、日本の海外統治が始まりました。 その下関条約に向けての講和会議が開かれた場所が「春帆楼」で、赤間神宮のすぐ横の関門海峡を望む場所にあります。 春帆楼 ちなみにこの春帆楼がふぐの公許第一号で、ふぐ料理の始まりもここでした。 現在も春帆楼は割烹旅館として営業されており、ふぐ料理を食べることができます。(要予約とのこと) 豊臣政権以来ふぐを食べることは禁制となっていましたが、明治になって伊藤博文がふぐを食した際、あまりに美味しかったために解禁となったそうです。 その春帆楼の横には「日清講和記念館」が建っており、下関条約に関する展示物が公開されています。 まずは歴史の教科書でよく目にするのがこの図でしょうか 記念館内部では当時の調度品などを使って、講和会議の場所が再現されていました。 手前に清国全権の李鴻章が座り、向こう側に日本側の伊藤博文・陸奥宗光が座っていました。 講和条約の伊藤博文・陸奥宗光の署名 伊藤博文・陸奥宗光像 台北の二二八和平公園でお会いした陳さんの言葉を借りて言うならば、台湾に何もしてくれなかった清の時代が終わり、台湾人が最も幸せだった日本の50年の始まりが、この日清講和会議でしょうか。 台湾で数多く目にしてきた「古き日本」の始まりがここだと思うと、感慨深いものがあります。 お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
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