2018/03/22(木)21:37
土井ヶ浜弥生パーク(山口・下関市)
山口県の北西部、響灘の日本海に面した土井ヶ浜では、昔から人骨が出土すると言われており、江戸時代の文献にもその記載があるようです。
それまでは元寇で敗退した蒙古兵の遺骨とされていましたが、1931年の調査によって時代はもっと遡ることが判明しました。
さらには1958年からの調査によって、約2,100年前の弥生人の遺骨であるとともに、大規模な埋葬遺跡であることが判明しました。
現在土井ヶ浜遺跡は「土井ヶ浜弥生パーク」となり、「人類学ミュージアム」が建設されています。
人類学ミュージアムでは、土井ヶ浜遺跡の紹介だけでなく、縄文時代からの日本人の形質やルーツについて紹介、展示されていました。
内容が内容だけに、展示物にはスケルトンが多くなっています。
土井ヶ浜の砂に埋葬されていたため、保存状態が良いそうです。
同じく土井ヶ浜遺跡から出土した土器
まぎれもなく弥生式土器です。
遺骨と共に出土した貝製の装飾品
巻貝を加工したもので、貝の装飾は南方から伝わって、遠く北海道でも出土例があるそうです。
ところで山口・九州・沖縄の弥生人はその特徴から、「北部九州・山口タイプ」、「西九州タイプ」、「南九州・南西諸島タイプ」の3タイプに分類されるそうです。
このうち「西九州タイプ」には縄文人の特徴が見られる一方、土井ヶ浜遺跡の「北部九州・山口タイプ」には縄文人の特徴がなく、日本に弥生文化をもたらせた渡来人だとされています。
それでは「渡来人はどこから来たのか?」の問いに対しては、まだ明確な説がないようです。
少なくとも2,300~2,500年前の人骨を調査する必要があるのですが、朝鮮半島や中国大陸での出土量が少ないため、まだ比較研究が進んでいないようです。
いずれにしてもこの弥生人が日本人のルーツの一つであることには間違いはなさそうで、ルーツについて思いを馳せていると、ミュージアム内に休憩所「ほねやすめ」がありました。
土井ヶ浜遺跡の発掘現場はドーム状の囲いで覆われており、ドーム内には出土した遺骨が並んでいました。
ヒーリングミュージックが静かに流れ、スケルトンにも見慣れたところなので、むしろ神秘的な雰囲気です。
土井ヶ浜の埋葬遺体は、一度埋葬したものを掘り起こして再び埋葬する「複葬」と呼ばれる方法で埋葬されています。
頭蓋骨だけを集めて複葬したもの
自分たちの祖先の骨を一箇所に集めて、仲間意識を強めるためだったと考えられていますが、祖霊神信仰の原型がここにあったのでしょうか。
その他にも特徴的な埋葬方法が数々見られるのですが、いずれも顔を北西の方向に向けていました。
そしてこの土井ヶ浜の弥生人たちですが、ある時期に忽然と姿を消したそうです。
それでも2,000年以上も前、確かに「日本人」がここで生活を営んでおり、2,000年の年月を考えると、ご先祖様である可能性はかなり高いと思います。