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パクス・ジャポニカ Vol.2

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2012/05/29
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テーマ:城跡めぐり(1258)
右田ヶ岳城に続いてこの日2つめの山城は、右田ヶ岳から佐波川を挟んで東へ約4km、双耳峰の矢筈ヶ岳にある敷山城です。

敷山城矢筈ヶ岳遠景 (500x375).jpg
右田ヶ岳から見た矢筈ヶ岳


矢筈ヶ岳の登山口までは狭いながらも車道がついていて、200mほど標高を稼ぐことができました。
矢筈が岳の登山口から敷山城跡まではさらに標高差100mほど、道のりにして400mほどの距離にあります。


ところで「敷山城跡」とはなっているものの、元々は「敷山験観寺十二坊」の寺院跡でした。
建武新政の太平記の時代に「敷山の戦い」の舞台となったため、戦闘拠点としての敷山城の名称があるものと思われます。


登城道の途中には、土塁や腰曲輪の跡らしきものが見受けられました。
敷山城土塁 (500x375).jpg
土塁(?)跡
験観寺の時代からあるものかどうかは不明ですが、鎌倉時代の中世山城の虎口のようにも見受けられます。


敷山城腰曲輪 (500x375).jpg
腰曲輪(?)跡
斜面に築かれた削平地ですが、位置からすると物見台があったのでしょうか。


しばらく木々の間を抜けていくと突然視界が開け、目の前には「梵字岩」と名付けられた巨岩がありました

敷山城梵字岩 (1) (500x375).jpg
「金輪聖王 天長地久 文永二年乙丑五月」と刻まれており、1265年の建立となります。
建立から9年後の1274年に元寇(文永の役)が起こっていることから、元の侵略に対して国家の安全を祈願したとも言われています。


梵字岩からは眺望が開けており、かつての周防国の中心地、国府のあった防府の市内を望むことができました。
敷山城梵字岩 (500x375).jpg
手前に石桶のような物がありますが、こちらは「昭和十二年」の銘があって、かなり後世のものでした。


梵字岩から少し登ると石段が現れて、横に「敷山城跡」の碑がありました。
敷山城城址碑 (500x375).jpg

石段の先には削平地と鳥居と祠があり、ここが敷山験観寺本堂跡であり、敷山城の本丸となります。
敷山城験観寺跡 (1) (500x375).jpg

ここが験観寺十二坊の最頂上、現在も僧坊の礎石の跡が残っていました。
敷山城験観寺跡 (4) (500x375).jpg
矢筈ヶ岳の八合目にあり、標高461mの矢筈ヶ岳山頂までは比高差150mを残すだけですが、ここで撤退して引き返しました。


験観寺が戦いの舞台となり、城郭として機能したのは1335年のことで、足利尊氏が建武政権に反旗を翻し、九州で挙兵をして再び京都に攻め上った時でした。
この時、周防国府の役人であった摂津助公清尊、検非違使の助法眼教乗は後醍醐天皇方につき、周防国の武将を集めて挙兵したのが、この敷山城です。


足利尊氏の命によって、石見国守護である上野頼兼が敷山城を攻撃、摂津助公清尊と助法眼教乗は敗北を喫して自刃しました。

現在でも毎年8月になると、「敷山の戦い」の慰霊祭が行われています。





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最終更新日  2022/02/02 05:26:54 AM
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