|
テーマ:旧街道めぐり(188)
カテゴリ:旧街道めぐり
今回の街道めぐりを兼ねたポタリングは佐倉街道(成田街道)、起点となる水戸街道新宿をスタートしました。
水戸街道と佐倉街道の分岐点である「新宿追分」は、現在の国道6号線の中川大橋東交差点付近にあったようです。 国道6号線から分かれ、拡張された道路を南下して行くと、住宅地の中に祠のようなものがあって、「角柱三猿浮彫道標」が残っていました。 元禄6年(1693年)に建てられた道標で、「これより右は 下川原村 さくら海道」とあり、葛飾区内では現存する最古の道標だそうです。 街道筋からは少し外れますが、中川の堤防近くには「怪無池(けなしいけ)」と呼ばれる池があり、青龍神社が祀られています。 青龍神社 睡蓮で覆われた怪無池は、大昔に中川が決壊してできたもので、雨乞いのための神事に使われるそうです。 白ヘビが住んでいるとの言い伝えがあり、はたして池の中をのぞいて見ると、ミシシッピアカミミガメが泳いでいました。 (縁起物には変わりありませんが) 街道筋が南から東へ向きを変えるあたり、新金貨物線の高砂踏切を渡ります。 これまでこの線路を電車が通るのを見たことがなく、総武線の新小岩駅と常磐線の金町駅を結ぶ貨物線です。 新金貨物線の踏切からは一本道が続き、寺院の建ち並ぶ一角へと差し掛かりました。 街道沿いにある崇福寺の山門 元々は1600年に日本橋浜町で建立された崇福庵が発祥で、1613年に酒井雅楽頭忠世(前橋城主、後の老中・大老)の帰依によって寺院が建立され、崇福寺となったそうです。 1657年の明暦の大火で焼失し、現在の浅草郵便局の場所に移転した後、関東大震災でも被災したため、昭和3年に浅草から現在の場所に移転されました。 現在の本堂は昭和8年に再建されたものです 旧佐倉街道は京成高砂駅の北側を東西に通っており、京成金町線の踏切を渡ると、葛飾区鎌倉に入って行きました 京成高砂駅北口付近 京成金町線(「男はつらいよ」でおなじみの路線です) 旧佐倉街道は葛飾区鎌倉と柴又の境界となっており、「さくらみち」の名称で呼ばれています。 半年前に江戸川区西小岩から葛飾区鎌倉に引っ越しをしたため、この辺りは近所も近所です。 この「さくらみち」もおなじみの道なのですが、桜並木に由来する「桜道」だと思っていました 旧佐倉街道をたどってきて「おや?」と思ったのですが、実は「桜道」ではなく「佐倉道」、すなわち旧佐倉街道だったことを、今回初めて知りました。 身近な場所になるほど歴史に疎いもので、北総線の下を通る道も、実は旧佐倉街道だったようです。 現在は北総線の新柴又駅が最寄駅なのですが、こんな「高級路線」(運賃が高い)を利用することはなく、幸いなことに北総線を利用しなければならない状況になったこともありません。 (京成本線の高砂か小岩、または京成金町線の柴又も近くの駅ながら、周辺になじみの店が多いという理由で、いまだにJR総武線の小岩駅を利用しています) 葛飾区鎌倉から柴又に入って来ると、佐倉街道はその北総線の新柴又駅の南側で、現在の柴又街道と交差します。 柴又5丁目の交差点 このあたりは江戸川区と葛飾区の区境が入り組んでいて、すぐに江戸川区(北小岩)となりました。 道路の脇を親水が流れるのが江戸川区の定番で、江戸川区に入ると同じ道でも早速「さくらみち」から「親水さくらかいどう」に名前が変わります。 お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
最終更新日
2022/03/23 11:50:40 AM
コメント(0) | コメントを書く
[旧街道めぐり] カテゴリの最新記事
|