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テーマ:城跡めぐり(1258)
カテゴリ:城跡と史跡(北海道編)
コシャマインの名前を聞くのは、高校の日本史以来でしょうか。
日本史の参考書などにはただ一文、こうあります。 「1457年、アイヌの大酋長コシャマインの率いる反乱が起こり、道南地方の館が襲われた。」 当時は「コシャマインの乱」という言葉をただ記憶しましたが、考えれば何とも中央政権側から見た書き方で、現在では「コシャマインの戦い」と言うようです。 その「道南の館」こそが志苔館で、函館空港のすぐ南の太平洋沿いにあります。 いかにも中世の館らしい縄張で、一重の堀を巡らしただけの構造でした。 虎口 空堀跡 居館跡 特に防御の工夫がされているわけでもなく、ただただ館跡といった感じです。 函館の観光スポットでここを訪れる人はまずいないかと思いますが、実は太平洋を独り占めできる穴場かも知れません。 本丸から見た函館山 道南の館跡の歴史は意外と古く、南北朝時代まで遡ります。 津軽方面の南北朝で敗れた豪族たちが、道南で館を築いたそうです。 松前藩の歴史書である「新羅之記録」によると、室町時代の道南には12の和人館があり、小林太郎左衛門良景が築いた志苔館もその一つとされています。 そして1457年、和人とアイヌの口論をきっかけにして、コシャマイン率いるアイヌの戦いが勃発しました。 志苔館の横には、和人と阿伊努(アイヌ)の両方の慰霊碑があります。 解説版にはこう書かれていました。 「ここに コシャマインの戦いにおいて亡くなりし館主和人御霊 阿伊努御霊 双方を同一座にお祭りしたものであります」 もしもここを訪れていなかったら、「コシャマインの乱」は単なる字面だけだったかも知れません。 まずは歴史を知ることはもちろん、実際に訪れて何かを感じることも大切だと、改めて思いました。 日本城郭協会「続日本100名城」 お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
最終更新日
2017/09/11 10:34:00 PM
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