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テーマ:城跡めぐり(1258)
カテゴリ:城跡と史跡(北海道編)
函館から松前城を経由して海岸線を走ること150kmで、上ノ国町にやってきました。
標高159mの夷王山の山腹には、中世の和人館である勝山館の跡があります。 夷王山山頂から見た館跡方向 下に降りて大手口に回ってみると、空堀が残って曳橋が復元されていました。 大手虎口 大手空堀 大手口の土塁 勝山館の縄張はシンプルで、大手口から搦手口まで「中央通り」の一本道があり、その両側に建物が並んでいたようです。 中央通り 住居跡 搦手口は大手口よりも高い位置にあり、門が置かれて空堀が巡らされていました。 搦手から見た大手方向 搦手門(復元) 搦手の空堀 大手口よりも傾斜のある薬研堀になっています。 室町時代の北海道は、京都に近い日本海側を上ノ国と呼び、太平洋側を下ノ国と呼んでいたようです。 本州からは津軽方面の戦いで敗れた和人が移り住み、1450年ごろには志苔から上ノ国まで十二の館がありました(上ノ国十二館)。 1456年のコシャマインの戦いでは、十二館のうち残ったのは花沢館と茂別館だけとなり、花沢館の武田信広がコシャマインのとの戦いに勝つと、以後は蠣崎氏を名乗って台頭してきました。 武田信広(蠣崎氏)が夷王山の山麓に館を築き、新たに本拠地としたのが勝山館です。 日本城郭協会「続日本100名城」 お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
最終更新日
2017/09/14 01:30:07 PM
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