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パクス・ジャポニカ Vol.2

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2018/09/01
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テーマ:城跡めぐり(1252)
戦国時代から明治維新まで、落城や廃城だけでなく、城主が移封や改易されることもなく続いた城や藩は珍しいかと思います。
特に関東の城郭においては、1590年の豊臣秀吉の小田原征伐で落城や廃城となることが多く、江戸時代においては幕府の命により移封や転封になる藩主が多く見られました。

そんな関東の城郭にあって、栃木県大田原市にある黒羽城は戦国時代から明治維新まで、約300年にわたって大関氏の本拠地であった城です。

現在は黒羽城址公園となっており、かつての三の丸には、松尾芭蕉が「おくのほそ道」で黒羽に滞在したことに因んで、「黒羽芭蕉の館」が建っていました。

三の丸芭蕉の館入口にある門
門は後に復元されたものだと思います。


三の丸虎口跡(?)

松尾芭蕉は「おくのほそ道」の道中で、黒羽に最も長い14日間逗留していたそうです。
芭蕉の館がある三の丸跡には、松尾芭蕉と河合曾良の像が建っていました。

松尾芭蕉の「おくのほそ道」の紀行は、幕府の命を受けての視察だったという説をふと思い出しました。
たまたまかも知れませんが、途中で滞在した場所には外様大名の城下も多く、黒羽も外様の大関氏の城下です。


三の丸と本丸の間には「馬出郭」と呼ばれる曲輪があります。
三の丸から馬出郭に続く途中にある芭蕉の館は、櫓門を意識したような造りになっていました。。

芭蕉の館

三の丸と馬出郭の間には空堀が残っており、堀の深さや法面の傾斜など、久々に見ごたえのある空堀でした。


馬出郭は本丸から独立した曲輪のようで、本丸との間はこちらも空堀で隔たれていました。

馬出郭跡
本丸虎口の外側にある「外馬出」だと思います。


馬出郭と本丸の間の空堀

さすがは江戸時代に藩庁が置かれていたとあって、本丸は一つの城郭がすっぽり入ってしまうほどの広さがありました。


本丸の隅には建物が建っており、何かと思って近づいてみると、能舞台でした。


本丸に着いた時から気になっていたのですが、本丸の西側に怪しげな建造物が建っています。

一見すると望楼のようにも見えますが、後世になって建てられた展望台と判明しました。

あまり人が立ち入った形跡もなさそうでしたが、床下から続く階段を登ると、土塁の上に出ることができました。

土塁上から見た本丸西側
すぐ前を那珂川が流れています。


戦国城郭として築城された黒羽城でしたが、天下泰平の近世の時代が長かったためか、行政の拠点としての側面も見られました。

本丸からは虎口を通じて直接城下に通じるようになっていました。

本丸の虎口
桝形が残っていました。


それでも街道筋に面した本丸の周囲には、空堀や水堀などの中世城郭の遺構が残っていました。

本丸周囲の空堀


水堀

本丸のすぐ東側は城下になっており、現在は駐車場になっている場所には、会所が置かれていたようです。

会所跡


黒羽城は1576年に大関高増が白旗城から本拠を移して築城し、以後は黒羽城が大関氏の本拠となりました。

大関氏は那須氏の家臣でしたが、1590年の豊臣秀吉による小田原征伐では、主筋の那須氏よりも早く参陣したため、加増の上本領を安堵されています。
(この時那須資晴は参陣しなかったため、改易となりました)

1600年の関ヶ原の戦いでは、大関高増の子である大関資増が当主となっており、この時はいち早く小山に参陣し、徳川家康に味方しています。
徳川家康からは加勢と武器供与の軍事支援を受け、黒羽城は上杉景勝の抑えとして機能していました。

江戸時代に入ると黒羽藩が置かれ、代々大関氏が藩主を務め、改易や廃城されることもなく、明治維新を迎えています。





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最終更新日  2018/09/06 10:34:12 AM
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