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テーマ:政治について(19891)
カテゴリ:政治「物申す!」
今日は、多分祖父の命日だ。私が中学3年になる春に亡くなった。満開の桜を車窓に眺めながら葬儀に向かった。桜があまりに綺麗だったことをよく覚えている。石神井公園駅の手前に咲いていた3本か4本の桜だった。あれから30年、だ。
西松建設の献金問題の報道は、次第次第にフェードアウトしつつあるように思う。 私は、政治資金規正法違反での逮捕起訴はあまりに乱暴だという立場だ。政治資金規正法は政治資金の透明化を図るという立法趣旨だが、その半面で訂正や修正といったことも合法となっている。 まして、税金申告のように税務当局が「経費と認められないので修正申告しなさい」というようなこともない。政治資金収支報告書は間違っていても、法的に問題があって法解釈上の見解の相違があっても、なんらチェックされることなく通り抜けている。 その意味で、刑事責任を問うのではなく、道義的責任と政治責任こそ糾弾するべきだと思う。 その道義的責任と政治責任を考える上で明らかになっていないことがある。 それは、そんな多額のお金を何のために集めたのか、ということだ。 政治には金がかかる。自分が必要と感じたさまざまな調査も、現地への出張も、普段の活動も例えば議会報告紙作りも配布も、それこそ政治資金報告書を作るための手間も、さまざまに手伝ってもらう人件費もすべて自腹だ。 そこはサラリーマンと異なり、どちらかといえば「個人事業主」に近い状況だ。だが、税区分は「給与所得」だから「基礎控除」はあっても「経費」という考え方はない。だから、例えば議会報告紙の印刷代だって経費とはならない。 よく政治家は儲かっているのでは、と問われることが多いが、決してそんなことはない。公共事業と結びついた立場でもなければ何の利権も無い。 こういった現実をよく理解していただいたうえで、それでも小沢代表はあまりに多額の金を集めた。なぜか。 このことがもっとも国民の大きな疑問なのではないだろうか。そしてそこにはマスコミも切り込まずにいるし、民主党国会議員も明らかにしようという動きは残念ながら殆んど見えてこない。 今回の道義的、政治的責任の本質はまさにそこにある。なぜそこまで多額の金が必要だったのか。このベールを剥せなければ民主党の「自浄能力」大きな疑問符がつくことになる。 お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
Last updated
April 2, 2009 08:18:12 PM
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