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蓼科高原日記

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2012.11.09
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滝谷省三郎は父親に向いた男ではなかった。トニー滝谷は息子に向いた男ではなかった。(村上春樹原作、映画「トニー滝谷」より)
 
ぼくの場合は、それに加えて、母は母親に向いた女ではなかった。このキャスティングのいったいどこに救いがあるというのだろう。
 
親がいただけいいじゃないか、という考え方もあるし、それはもっともな意見だと思う。これはそれを認めた上での話だ。そのような立ち位置からの話だ。
 
以前、村上春樹の短編小説を映画化した「トニー滝谷」のこと、また、それにインスパイアされるかたちで、ぼく自身の生い立ちのことを書いた。
 
ぼくの認識する限りの「事実」を書いたのだけれど、「事実」とはじつに多様なものだから、別の視点に立てば見解は180度異なるのかも知れない。
 
それは議論しても、検証を重ねても、解きほぐすことはできない。最大公約数的に妥協するにしても、そのようにして得られた事実は、個人のこころに関わる問題にはほとんどなんの役にも立たない。
 
 
アーティスティックな森 01
 
 
たとえどんな親であろうとも、子供は親を憎むことはできない。
 
それは宿命とも言える。いやDNAレベルでそのようにプログラムされているのだ、と言うひともいるだろう。
 
子供は無条件に親を愛さざるを得ない。愛すことをやめることはできないし、憎むこともできない。だからこそ、子供は親を「捨てる」ことしかできないのだ。
 
同時にそれは子供自身のこころの一部をえぐり取ることでもある。人間の行為はつねに相対的であり、相互的であるからだ。人の道を説く愚行を犯してはならない、子供はすでにさばかれているのだ。
 
親孝行を要求する前に、最善の親であろうと努力することだ。そうであるならば、なにも言わなくても、子供はこころから親を愛し、親の慈愛に報いたいと切望するものだから。
 
自らの人格と尊厳を守るために両親という強大な二人の大人を相手にひとり戦いながら成長したぼくは「普通の家庭」のありようが理解できないのかもしれない。(ぼくには兄弟姉妹がいない)
 
 
ひとそれぞれに自分自身という存在の「質」を持って生まれてくる。サルトルの言うとおり、それは事後承諾であり意識を持った瞬間にはもうこの世界に明確な理由もなく存在しているのだ。
 
理解できようができまいが、世界は刻一刻と判断を求め、かまわず進行する。

 
なにはともあれ、生きなければならない。

 
--- 
 
信州蓼科高原北八ヶ岳・標高1700m
ペンション・サンセットのホームページ:
http://www.p-sunset.com/
 
Facebook Page:https://www.facebook.com/pension.sunset
 
 





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Last updated  2012.11.09 20:39:47
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