テーマ:写真日記(2109)
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2016年1月11日 月曜日 数日前の記事でわたしは以下のように書いた。 『要するに私はただ写真を撮りたいだけなのだと思う。 そして自分自身それに共感し、それに誰かが共感を寄せてくれることがうれしい。 わたしの実存のレゾンデートルとしての写真なんて言うとちょっと格好良すぎか。 わたしが「いま・ここに・ある」ことの証拠。 わたしは永遠のアマチュア、あるいは永遠の趣味人なのかも知れない。』 続きを書く。 写真を撮ることはわたしにとっては「習慣」である。趣味ではあるがもはや気まぐれな行為ではなくある意味で義務的な習慣になっている。ブログ同様にそうすることが才能も何もない自分にとって唯一力となることを知っているからだ。文字通り継続は力なりということを20年以上ブログを書き続けてみてわたしは知った。 野球におけるキャッチボールのように,剣道における素振りのように、わたしは(たとえ同じようなあるいはまったく同じ風景を)毎日撮り続ける。同じ風景を撮り続けることのメリットは自身の写真のぶれ幅を知って修正したりやがてコントロールできるようになることだ。 同じ場所、同じ風景でもふたつとして同じ風景はないことを身をもって知るコトでもある。いまここに在るわたしがいまここに在る風景を見ている。それは変化し続けるこの世界に在っては奇跡と言うほかないできごとなのだ。 ピアニストが同じ曲を毎日の日課として何時間も引き続けることによって自己修練としているのと同じことなのだと感じることが出来る。そのようにして日々撮られた写真は第三者からすれば決して興味深いあるいは感慨深いものとはならないかも知れない。そのことは承知している。 だから、最近はあまりアップしないように気をつけている。自分的にこれはいいな、ねえこれって良くない?・・・と思ったときは例外なのだけれど。そんなときに限って反応がなかったりして。よくあることだ。ははは… ^^; 20160111-DSC04102-2 from 蓼科高原ペンション・サンセット お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
Last updated
2016.01.12 01:31:04
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