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山形達也85歳の心理学

山形達也85歳の心理学

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2017.05.31
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カテゴリ:健康問題
WHOが5月31日を世界禁煙デーにしているそうで、そのためか今日のニュースには煙草による世界中の死者の数が700万に達していると載っていた。

世界人口は大雑把に70億人で、死者数は我が国では1%弱だから、約7千万人とするとその10%が煙草の害で死んでいることになる。感覚的には多すぎる数であるが、直接の害だけでなく受動喫煙も含めてタバコの害に警鐘を鳴らす意味があるのだろう。

妻はタバコを吸わないのに肺がんで6年前に亡くなった。ぼくは結婚してからはパイプタバコを吸っていたから、彼女の受動喫煙には責任があるだろう。返すがえすも残念で、悔やんでいるけれど、過去のことは覆せない。彼女並みの立派な人間になって、人の役に立つことをするしかない。

ぼくがタバコを吸い出したのは二十歳になってからだが、その頃は毎朝「あ、タバコが吸える」と思って起きたものだ。そのくらいタバコは魅力的だったが、すぐに美味しくなくなってパイプタバコにきりかえた。研究の文献を読みながら、あるいは研究を考えながら紫煙をくゆらしていると良い考えが浮かぶ。

でもそのうち、40歳になったころパイプをくゆらしている間は何も考えていないことに気づいた。全くの時間と金の無駄遣いだ。タバコをやめよう。そう思い立って、何度も禁煙を誓った。なんども。「禁煙」と沢山の紙に書いて部屋中に張り巡らした。でも、駄目だった。

やがて、研究室のぼくの実験助手が妊娠した。もう、絶対にやめなくてはいけない。そう誓ってもやめられない。そして、ふと、禁煙を誓うのではなく、一寸の間休もう、と思ったのだ。禁煙するのではないから、新しいパイプも買ったし、パイプタバコの缶も買った。でも、それをそのまま机の目の前に置いておいて、今はまだ吸わないのだ、何時でも吸いたいときには吸えばいい、と自分に言い聞かせた。

それが、ぼくが45歳のときだ。それ以来、ぼくは一度もタバコを口にしていない。25年吸っていたわけだが、その後タバコをやめてから35年経っている。それでも、まだ肺には所見が残っているそうだ。

心理学的に見ても、ぼくのやり方は正しいのではないだろうか。禁煙とか、禁じるというと、それはすごく重いし、強いし、がんじがらめで、そこから逃げ出したい。だから、ついまた手を出して吸ってしまうのだと思う。ぼくのやり方は強い言葉で圧力をかけるのではなく、気をそらしたのだ。いつでも手を出せばタバコが吸える状態のままにしておいたのだ。その上で、ちょっとだけ吸わないでおこう。できるかな?という具合だっだ。

放送大学の勉強も、「ま、ちょっと、やってみるか」くらいが、続けるためには良いのじゃないかな。

いつか、心理学者と、この方式を話してみたいと思っている。





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最終更新日  2017.06.08 13:03:43
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