(令和6年4月30日)中日春秋丸写しで一句 裏金の解決なくて四月尽♪
中日春秋 (書写) 裏金の解決なくて四月尽 福島県二本松市の霞ケ城跡に二本松藩主が藩主への戒めを石に刻 ませた「戒石銘」がある。完成は18世紀。「爾の俸 爾の禄は 民 の膏民の脂なり 下民は虐げ易きも 上天は欺き難し」と読む漢文 で「武士の俸給は民の汗と脂の結晶。謝意を忘れ虐げれば、天罰が あるだろう」との趣旨という▼二本松商工会議所が裏金事件があっ た自民党に襟を正してもらおうと約2週間前、岸田首相を官邸に訪 ね、碑文を刻んだ石盤などを贈呈。非公開だが、首相は碑文の説明 にうなずいていたという出席者の話を東北の新聞、河北新報が伝え た▼天罰と言えば大仰だが、報いを受けたのだろう。衆院3補欠選 挙で自民は二つの不戦敗を含め全敗した。政治資金を裏金にした議 員は民を虐げる気はなかったと言うのだろうが、公人が金で道に反 すると当然、民の怒りを買う▼首相が視野に入れていたらしい早期 衆院解散は難しくなった。負けそうな選挙は先に延ばしたいのが議 員の情。秋の党総裁選で党首交代を願う向きが増えるかもしれぬ▼ 19世紀の戊辰戦争で二本松藩は不利を承知で新政府軍に降伏せず、 散った。戦闘前、家臣らは、嫡子がない当時の藩主に何かあれば藩 が絶えるとして「皆と一緒に死ぬ」と言う藩主を泣いて説得し、城 を脱出させたという▼窮地でも首領以下が心を通わせる―。古今を 問わず、そう簡単なことではない。