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カテゴリ:園芸
中日春秋 (書写) 温泉や活性化なる春の磯 能登の和倉温泉(石川県七尾市)は、海から温泉が湧き出ること から昔は和倉ではなく「湧浦」と書いた▼腫れ物に悩む加賀藩2代 藩主前田利長が湯を取り寄せ治療したことから、効能の評判は高ま った。湧出口の周囲を埋めたて湯島を造るなど整備は進み、客で賑 わう。湯を樽に入れ対岸に運び、武士らが入浴したという▼こんな 歌が流行した。〈湧浦沸浦と家なら七つ 島に湯が出にゃ誰行こや 〉。湧浦が繁盛しているが、半農半漁の家が7軒の寂しい所で湯が 出なけらば誰が行くだろうとの意という。能登の歴史に詳しい藤平 朝雄さんの著書などに教わった▼湯がなければ客が絶える和倉温泉 にとって復興の一歩である。能登半島地震で休業が続いた公共の日 帰り温泉施設、総湯が今日、営業を再開する▼配管の修復などを経 て源泉の湯、水道が開通したという。20余りある旅館の休業は続く が、活気は少し戻る。地元の人らが湯に漬かるのだろうが、湯船で 何を思うのか。身心疲れた今は一層、効能あらたかだろうと想像す る▼「湧浦」から「和倉」への変更は藩の方針で「湧浦は書き間違 えやすい」ことが理由だったとも伝わるが、海に湧くとの由来は地 名から消えてしまった。地元は抗議したが覆らず、ならば「和して 倉を成す」と団結し、温泉を発展させてきたという。和して今の苦 境に挑む人々が早く報われることを。 お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
Last updated
2024.03.26 05:00:02
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