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カテゴリ:園芸
中日春秋 (書写) 打開策あらばリニアの風光る 旧満州で鉄道経営に携わった十河信二は昭和 30年、 71歳で国鉄 総裁に就き、東海道新幹線建設に道筋をつけた▼工費は安くなく計 画当初、戦艦大和、万里の長城、ピラミッドと並ぶ愚挙とも評され た。国鉄内には「夢物語」と冷淡な空気が漂い、政治家も選挙区へ の在来線延伸に熱心だった▼十河は国鉄の各職場を回って新幹線を 造ろうと訴えた。岸信介、河野一郎、佐藤栄作ら政界要人を説得し た。国鉄総裁就任時に「残される愛するものへ」と遺書をしたため 、新幹線は国にとり「明治以来の夢なり 夢は生命なり」と書いて いたという(牧久『不屈の春雷 十河信二とその時代』)▼後進の 苦戦に天上で何を思っているのか。JR東海がリニア中央新幹線品 川―名古屋間の 2027年開業の断念を表明した。川勝平太静岡県知 事が県内着工をを認めておらず、開業は早くて34年以降らしい▼27 年開業は困難と察していたが、実際に10年以上先と聞くとずいぶん 先だなと感じる。大井川の水域少や南アルプスの環境への影響を懸 念する知事が着工容認に転ずる気配はない。昭和と時代が違うとは いえ、信念の人だった十河なら何か知恵を出させるだろうかと考え てしまう▼十河の座右の銘は大陸と縁があった人らしく中国語の「 有法子」だった。「没法子」(しかたない)の反対で、打開策はあ るとの意という。リニアもそうだろうか。 お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
Last updated
2024.04.02 05:00:06
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