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カテゴリ:スピリチュアル
Seraphimさんから何かスルーしてること、何かをスルーしている可能性が考えられることを自分の事として捉え、消化する様に教えていただきましたが、2箇所修正という目に見えるもの(言葉)に囚われてしまいました。
修正箇所がわからなければ、今の自分では、正しく自分自身を捉え、何をどうすべきかがわからない状態と言うことを自覚し、認めます。自己中心と傲慢さがあり、分からなければSeraphimさんに聞くと言う甘えと依存があり、教えられた通りスルーしていることを探そうとすることを怠りました。 修正箇所に拘り、誤字や脱字ばかりを探すという自己中心の行動をとりました。思い込みと言う自己中心と傲慢さがあり、違和感を感じたことをスルーしました。 違和感を感じた箇所にスペースが空いていて、私の油断の表れだと教えていただき、思い込みがちであることを反省しました。目に見えるものに拘らず、スルーしてしまう自分の行いに焦点を当て、取り組みます。 Zadkuel 訂正箇所について、もう少し詳しく説明すると、訂正箇所があるのにそのまま送信している時点で、「自分には気づいていないことがある」と判断してください。 一度送信したものをもう一度読み返し、自分で訂正箇所に気づけたのなら、その点に関しては「自分の正すべき行い」に自力で気づける状態にあると言えます。 但し、直したからとそこで終わりにしてしまうと、そこから見えて来る「課題」をスルーしたことになるので気をつけてください。 Jophielもです。 課題をクリアしなければ、訂正箇所はこれからもずっとついて回ります。 そして今回のケースですが、指摘されるまで訂正箇所に気づけない、あるいは、指摘されても気づけないのであれば、気づける人のアドバイスを素直に受け入れるより他に手立てはありません。 それがたとえ甘えに繋がるとしてもです。 そもそも現時点で自立できていたらアイオーンになれています。 自分が気づけないことに納得できないからといって、訂正箇所に固執するのは「我」が強過ぎです。 劣位の神の右側から発せられるメッセージは、私たちが「無我の境地」でなければキャッチできません。 わかっていると思いますが、左側から来たばかりだとキャッチするコツを掴み、慣れ、習得するまで時間がかかり、油断するとすぐまた左側を向いて戻ってしまうので「我(自分、肉、左側に属するもの全て)」は手放してください。 Seraphim お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
Last updated
2020.08.31 09:45:14
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