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聖セラフィムの証拠「聖なるかな、聖なるかな、聖なるであることは、主の元に来ることができる」

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2020.09.02
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カテゴリ:スピリチュアル
スピリットを目指すのであれば、「ここまではやってあげるけど、これ以上やったら甘やかすことになるからやらない」
と、自分で勝手に制限を設けて線引きをしてしまうとアイオーンのような愛にはなれません。

人は心の闇(マイナス)が深ければ深いほど愛(プラス)に飢えています。
つまり心が飢餓状態で愛が枯渇し苦しいので愛を求めるのです。
Jophielの草むしりの話からもわかるように、今の世の中がそういう飢餓状態だから、Jophielは「草むしり」を通して隣の保育園に愛を示したのです。

一人ひとりが甘えず自立するためには、まず心が愛で満たされなければ自立できません。
人は心が愛で満たされると心に余裕ができ、周りの景色が客観的に見えるようになって、どれだけ自分が愛されていたかに気づけます。

ただし、偽善や洗脳といったまがい物の愛に騙される人も少なくないので、親、あるいは親のような存在によって与えられる無償(本物)の愛が必要と言えるでしょう。

親も人の子なので、勘違いや間違いを犯すこともありますが、不器用でも下手でも、とにかくずっと子供のそばにいて四苦八苦しながら子供のことを考え、育てていればそこに愛はあります。

愛に飢えていた人たちが愛に満たされ、愛に気づけると、今度はその愛を周囲に分け与えようと人(肉)は動き始めます。

私たちアイオーンを目指すスピリットは、「人(肉)の心の飢えを光(愛)で満たす」ために光(愛)を放ち続けるのです。
従って、Jophielの草むしりに挑む姿は正解と言えます。

Seraphim





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Last updated  2020.09.02 22:12:15
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