618385 ランダム
 HOME | DIARY | PROFILE 【フォローする】 【ログイン】

聖セラフィムの証拠「聖なるかな、聖なるかな、聖なるであることは、主の元に来ることができる」

聖セラフィムの証拠「聖なるかな、聖なるかな、聖なるであることは、主の元に来ることができる」

【毎日開催】
15記事にいいね!で1ポイント
10秒滞在
いいね! --/--
おめでとうございます!
ミッションを達成しました。
※「ポイントを獲得する」ボタンを押すと広告が表示されます。
x

PR

Keyword Search

▼キーワード検索

Profile

熾天使4444

熾天使4444

Freepage List

Recent Posts

Archives

2024.05
2024.04
2024.03
2024.02
2024.01

Calendar

2022.11.15
XML
カテゴリ:スピリチュアル
悪念が誰にでもあるのはわかりますよね?

人間に悪念がある以上、人は皆、悪念を飛ばしたことがあると言わざるを得ません。
意識して飛ばす人もいれば、無意識のうちに飛ばしている人もいるので。

例えば、相手に対する思いが強過ぎると、自分が生霊となって飛んで行くことがありますが、生霊が悪念を抱けば悪霊や怨霊と化します。

つまり、全ての人に赦しを請わなければならない理由がここにあるというわけ。

この悪念というツールを故意に使うか使わないかはその人次第ですが、世の中には悪魔崇拝というのもあります。
人間の邪な心が大好物で邪神を崇拝し、闇の力を利用しようとする人達です。

悪魔を呼び出して悪魔と密接に結びつき、意識を乗っ取られた悪魔憑きは、目を見るとわかります。
人間の弱さを見て取ると、邪悪な目つきに豹変し、ニヤリと嘲笑うからです。

悪魔祓いの出番があるとすればここです。
但し、乗っ取られた本人が祓って欲しいと言うかどうかわかりませんが。

祓わなければならないような塵芥を生み出すのは人間です。

罪を償い消す作業は、いわば悪魔と一線を画すために必要な身を清める作業と言えるでしょう。

Seraphim





お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう

Last updated  2022.11.15 19:49:31
[スピリチュアル] カテゴリの最新記事



© Rakuten Group, Inc.