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聖セラフィムの証拠「聖なるかな、聖なるかな、聖なるであることは、主の元に来ることができる」

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2022.11.15
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カテゴリ:スピリチュアル
悪魔祓いの面白いところは、悪魔を消そうとするのではなく、「帰るべき所へ帰りなさい!」と帰そうとするところです。

悪魔には帰る場所があるのです。
いわゆる地獄と言われる場所ですが、なぜ地獄はあるのか?
人間が光に背を向けるからです。

光に背を向ける人間がいる限り、影は見える場所にあり、地獄はなくならず、悪魔も消えてなくならない。
だから帰るべき場所に帰すしかないというわけです。

地獄を見ずに過ごそうと思ったら、人間が光に向かうしかありません。
だから、神殿の夢に出てきたシスターは、神から見て「左側を見てはいけません」と言ったのです。
神の左側は、この世でいう地獄、邪神を崇める世界だからです。

但し、シスターが言った言葉の意味は、左側を無視しろとか、なかったことにしろと言っているのではありません。
左を見ずに右を見なさいと言っているのです。

左の世界があると辛いから、苦しいから、嫌だからといって、人間の都合でなかったことにはできませんし、また、言葉の力で勝手に消していいものでもありません。

地獄がないのは神の国だけです。
その神の国が確かにあり、その国を目指せば人は皆救われるのだという証拠を見せるために、言葉による奇跡は起きるのです。
地獄を消すためや、この世を神の国にするために起きるのではありません。
人が努力もせず地獄を消したり、この世を神の国にしたりできると思うのは驕りで、悪魔崇拝もいいところです。
邪神に幻を見せられ、惑わされていることにも気づけず、邪神を崇めているからそのような発想になるのです。

従って、自分が犯した罪は最後まで責任を持って償い、自力で神の国を目指してください。
これができない人間は、自分の足で歩けない赤子も同然。
だから邪神に狙われるのです。

自分にとってマイナスで嫌なものは何でも言葉で消せると勘違いしてはいけません。
それは魂の成長を拒む人間の甘えであり、明らかに背徳です。

人間が神の子であるならば、神を信じて、全ては神の御心のままにと委ねましょう。
罪とつながる邪神によって何が起きてもです。
その覚悟が神へと向かう原動力を生み、人間を強くするのですから。

人に神のごとき力を与え、その力にすがりつき骨抜きにされた人達を地獄へ連れ去ろうと目論む輩は、邪神以外に考えられません。
まやかしに心を奪われたまま地獄に連れて行かれないように気をつけてください。

Seraphim





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Last updated  2022.11.17 07:25:17
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