私はよく物知りとか博識とか言われることがあり、この間などは辞書を枕替わりに頭に敷いて寝ると、辞書の内容が頭に入っていくのだ、なんて伝説がまことしやかに伝えられているのを聞いて笑ってしまいました。いやー、そんな便利な作りになっていればいいんですがね。実際、私はあまりものを記憶するような努力はしていません。頭に情報がたくさん詰まっていると、却ってわけがわからなくなり、物事を判断できなくなってしまうのではないでしょうか。どうも私の見るところ、物知りとか記憶がいいと言われている人に共通しているのは、ものを覚えないようにしている、ということのようです。大量な情報を的確に処理するには、頭に記憶させておくのではなく、知りたい時にどこに行ったり見たりすれば、或いは誰に聞けばいいか、それだけ知っておくことの方が重要です。辞書に載っている言葉を全部覚えるのではなく、わからない言葉、知りたい言葉があったら辞書を引けばいい、とわかっておくことですね。或いは、こういう問題だったら誰々さんに聞けば詳しい、とか。最近はネットで、グーグルで検索すれば、大抵のことは知ることができますね。
そうは言っても、ちゃんと知っておかなければならないことというのはあります。仕事に関する知識などはそうですね。これは頭で覚えるというよりも、身体にしみこませて、頭を使わなくても自然に出てくるようでなくてはいけません。
今、某有名企業のシステム開発の仕事を受けていて、その企業の開発専用の部屋で仕事しているのですが、これが、当然と言えば当然なのですが、顧客情報の流出、ネットやリムーバブルディスクを通じてのウィルス感染などのセキュリティが厳しく、何と私が使っているパソコンはネットにつながっていないのです。従って、あ、あれについて知りたい、と言った時に、ネットを利用することはできません。
これは先日実際にあった出来事なのですが、そういう環境の中で、急ぎであることを実現しなければならず、そのためのプログラムを作られなければならなくなりました。その時、私の頭の中には、あっ、これはあれを使えばいい! というのがあったのですが、その「あれ」とは以前ネットで見たことがあるものなのですが、ちゃんと覚えてはいなかったのです。手許にはマニュアルや教科書の類もありません。仕事中ですから家に戻るわけにもいきません。何しろ、その日の業務が終るまでにそのプログラムを作って、業務終了後に実行しなければならないのです。時間はありません。周りの人に聞いても、その「あれ」については知らないというのです。さあ、どうするか?
今も書いたように、ネットも見られない、本もない環境ですから、これはもう、自分がはっきりとわかっている知識だけで実現するしかないわけです。「あれ」を使えば1行でさらっとカッコよく実現できることですが、それがわからない以上、もう「あれ」のことは考えずに、実現しなければならないことをどう実現するか、どうなっていればいいか、結果から考え始めました。自分の拙い知識を、どう組み合わせればその結果に辿り着けるのか。発想の転換というやつですね。結局、その結果に辿り着くまでのステップをいくつかに分け、それぞれを実現する子プログラムを作り、最後にそれらのプログラムを順番に続けて実行する親プログラムを作って、何とか業務終了までに間に合わせました。プログラムとしてはカッコ悪いけれども、大事なのは目的を実現すること、時機を逃さないことですね。
やり終えたあと、ああ、これは通訳と同じだなぁ、と思いました。通訳もまた、一々辞書やガイドブックなんかみていられない仕事ですね。何を言われても聞かれても、即座に受け答えできなければなりません。正しい訳語とか、ガイドブック的知識に拘るとできない仕事です。自分の持っている単語や表現、或いはそれぞれの分野の知識を駆使して、とにかく内容を正確に伝えるということが求められます。
いや、こうしたことは、プログラマーや通訳に限らず、仕事というものは、現場での仕事というのは、そういうものではないでしょうか。現場で起ることというのは、必ずしも理想的な環境ではありません。寧ろ必ずと言っていいほど、予期しない、準備のできていないことが起ります。その時、プロであれば、わかりません、できません、知りません、聞いてません、といったことは言えません。ものを柔軟に考え、自分の持っているものだけで勝負する、何が何でも必ず目的を実現する。それこそ実力というものであり、プロであると言えるでしょう。
最初に書きましたように、覚えなければならないもの、知らなければならないものは覚えなければ、知らなければならないのです。が、全てを覚えられるわけでも知ることができるわけでないのもまた事実です。以前、「エレガントな解答」という文章で書いたような、カッコイイ答を出せるように、自分の仕事では常に勉強しておくことも大事です。が、「エレガントな解答」という言葉が同時に表わしているのは、数学ですら、答を導く方法は一つではない、ということです。どんな状況下でも、必ず目的を実現できるような発想の転換、応用力といったものも、仕事の現場では要求されています。「正解」を記憶することが求められるテストに長い間どっぷり浸かって慣らされている私たちにとって、このことはとても重要なことだと思うのです。
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