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テーマ:優しい時間(44)
カテゴリ:テレビ番組
■たとえば、あの交通事故で大竹しのぶが生き残り、二宮和也が死んでいたとしたら、寺尾聰は大竹しのぶを許すと思いますか。おそらく彼は彼女を責めるでしょう。しばらくは口もきかないでしょう。彼女はズタズタでしょうね。どちらにしても、彼には負い目があるわけですよ。「家族」をないがしろにしていたという負い目がね。彼の背中には「企業戦士」っていう明朝体の入れ墨があるはずだから。
■前にも書いたことだけど、許す、とか許さないという形の落とし前の付け方はありえないわけですね。もしマスターが息子のした事を「罪」であると認識していれば、それを許す事もあり得るわけだけど、彼は息子をただ怖れているわけですよ。心を確かめる言葉もなく、説教をする言葉も持っていない。 ■一方、息子二宮君はマスターのことをひとりの男性として認識している。彼の妻をこの手で奪ってしまったという罪の意識をひとりで抱え込んでいる。息子は父親に対して無条件に受け入れてもらおうという気持ちは持てないものだ。何かひとつ成し遂げたというものを見せつけ、認めてもらおうと思う気持ちが成長するって事なんだ。 ■おそらく来週行われるであろう父と息子の和解は、それぞれが変化したからというわけではなく、それぞれのことを考えるようになったからということに他ならない。それぞれがちょっとずつ怖れていたものの正体の謎がいくらか解けたということなんだろう。 ■しかしあの入れ墨をめぐって真剣に演技しなければならない寺尾聰と二宮和也君に同情します。この作劇の動機が平気で身体に傷をつける若者の生態に対する昭和ひとけたの大いなる疑問符と儒教的なプロパガンダであったとしても、この「死神」は余りにデフォルメがきつく、感情移入を完全に遮断しています。 ■今日はどこを褒めたらいいのかわからない。ただ前半の未亡人をめぐるカウンターでのやりとりはそのテンポといい、間の取り方といい、この作者の往年の作風を思い出させてくれた。それくらいかな。告白すると最後の大竹しのぶとのやりとりあたりから記憶がない。カランカランでも鳴ってくれれば目が覚めたのに。でもちゃんと録画で見たよ、だからラストの見たくないものも見ちゃった。次週やっと最終回ですね。ほっ。 お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
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