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テーマ:新撰組!(305)
カテゴリ:もう一回見る新選組!
■登場人物の誰かが死ぬということを前提としてドラマを見た初めは「太陽にほえろ」のショーケンだったと思う。おそらく劇的な殉死を想像して見ていて、山場が過ぎても彼は生きている。もうそろそろ終わりの時間なのにななんて思っていたら、終盤無防備な背後から彼は唐突に刺された。長いドラマを見てきて主要人物が死んでしまうシーンはとても悲しい。
■「源さん死す」というタイトルは「友の死」の普遍性より、ずっと個人的である。後者が視聴者にとって山南敬助の死に留まらず、自分の周りの他者に対する想いにまで昇華させられるものとするならば、源さんの死は試衛館生え抜きの門人がひとりこの世から消えていくことであり、近藤や土方にとってその悲しみはこの上ないものなんだろうな、という感慨を抱かすのに留まっている。 ■ここまで描かれた彼の人柄に慣れ親しんだ我々は予告編を見た段階から号泣する準備はできていた。少し源さんの思い出を書けば、最初は総司に顔中墨で塗られての登場だった。たしか龍馬と橋本左内が近藤を訪ねて来ていて、笑われていたっけ。京へ上る時にはひとりだけみんなとは違う組に編成されていた。年の順だったのかもしれない。ひとりだけといえば、浪士組の役職を決めた時、ひとりだけ、平隊士になるところだったよね。お茶を入れたり、オニギリを作ったり、ちらし寿司も作っていたな。オニギリといえば山南さんにそっと差しだしたあれ、悲しかったな。 ■近藤と源さんの結びつきをこのドラマでは谷周平という人物を間に挟んで間接的にすごく強く描いた。周平を一人前にすることで源さんは近藤に報いろうとする。周平の迷いを大芝居して救った回は彼の数少ない見所のひとつだった。そのようにここではふたりの擬似親子関係が後半ひとつの見所にもなっていたわけで、彼の戦死も直接的には逃げ遅れた周平を助けるために楯になる、というまるで弁慶のような最後だった。 ■このシーンを最初に見た時はまるでマトリックスのような描写にずいぶんと気を取られて、悲しみが追いつかない印象があった。龍馬の頭めがけて振り下ろされた刀とか、河合や松原にとどめを刺した沖田や斎藤の剣のような、刺殺的表現に比べ、この銃で撃たれるという死に方には、加害者の力みたいなものが描きにくいところがあるんじゃないか。戦闘のスタイル自体が激変していることもあるけれど、普通に描けば素っ気ないものとして映りがち。それを幾分過剰に描いて見せたのがあの表現だったのであろう。(もう少し過剰にすればそれはペキンパー風にならざるを得なく、NHK的にはNGになってしまう) 島田「そんなんじゃダメだ。もっと強く抱いてやらないと魂が出ていっちまう。そんなんじゃダメだ。」 そんな戸惑いもこのセリフで涙腺スイッチは全開となる。そしてあのメロディと看取る隊士たちの顔顔顔でじょあーっ。突然咆哮をあげながら薩摩軍に向かって斬りつけていく斎藤を見ながらじょあ、じょあ、じょあー。心の中で源さんにかわって「またひとり逝ってしまった」と言ってみる。 ■そう、戦闘の形式がかわっている。音楽を演奏しながら近づいてくる敵、とんがり帽子に菊の御紋の錦の御旗だ。この近代的和洋折衷具合が可笑しくもあり、悲しくもある。薩摩は見せたくてたまらなかったのだろう。こんなにモダンな戦いの様式を。新選組とて刀の時代の限界を感じてはいる。彼らの目から見ても旧幕府軍の鎧兜のおじいちゃんの立ち振る舞いはタイムマシンで戦国時代に戻ったように思える。土方「いつの時代からやって来たんだ、あれは」最終兵器三谷昇! ■でもたとえ負けても薩長軍のような格好して闘いたいとは誰も思っていなかったと思う。新選組のプライドはやはり剣にある。根っこは天然離心流にある。まるで遠足気分でちょっと行ってくると言って出ていった永倉や左之助たちの相手に対する抵抗が寂しかった。ひとりひとりの剣では絶対に負けない。夜なら彼らにも勝ち目はあった。敵の旗を奪ってきたり、昼間の鬱憤を晴らしてみたり、でも所詮相手の戦力規模にはかなわないことを彼らは知っていた。誰も弱音を吐かなかったけどね。その頃慶喜は江戸へ帰ると容保公に言っていた。近藤たちが最後まで闘おうとしていることを知っていたはずなんだけどね。 ■右肩に重傷を負った近藤とますます顔色の悪くなった沖田は大阪へ。そこには松本良順医師がいて、彼らの面倒をみてくれる。この田中哲司さんもナイスキャストでした。仕事がら西洋の長所をいち早く取り入れているんですが、榎本ほど嫌みがない。この回では総司の看病をしている優香を城から出て行かそうとする兵士に向けてこんな事を言っていました。 良順「この人はナースです」 男「ど、どのあたりが」 ■今回の問題 土方に抱かれて息をひきとる源さん。最後の最後のセリフは何だったでしょうか。正月の続編での土方の最後のセリフと比べてみてなるほどと思いましたよ。 ■第45回 演出 清水一彦 新選組を行く「鳥羽伏見の戦い」 PS 幽霊として源さんを近藤に対面させるという方法について、回想シーンを一度も使わないくせに幻想はありなのかなんて思った。でもこれはこの作家の引き出しの多さを見せつけるひとつの表現としてありだと思う。ただ単に小林隆に舌を出させたかったのかもしれないが。それにしても、ここでの香取近藤の半分諦観が入ったような表情はすごい。顔つきがもうその地位の人になっている。彼がこの戦いの終焉をリアルに感じ取ったのはこの源さんの死に他ならないのではないだろうか。 大久保役、保村さんの「いわくらきょう」というイントネーションが耳から抜けない。錦の御旗を思いついた時の彼の表情。もうこの頃は完全に宇梶西郷を食っています。 お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
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