|
カテゴリ:真田丸
■歴代大河ドラマ茶々役者たちの中で印象に残っているのは「天地人」の深田恭子、「江」の宮沢りえ、「軍師官兵衛」の二階堂ふみ。古くは「独眼竜正宗」の樋口可南子、「秀吉」の松たか子。そんな女優陣の顔ぶれはさすがに華やかだが、今回の竹内結子ほどその内面に深く踏み込んだ描き方はなかったように思う。
■父や母や兄はみんなある男によって殺されてしまい、そしてよりによってその男から求愛されるうら若き女性。そんな役を演じてごらんと誰かに言われたとしたら一体どんな感情を心に秘めてその男の懐に飛び込んでいけばいい。悲しむことをやめてしまった女の表情はやはりちょっと焦点の合わない近眼風の目で少し口を開け男の顔をじっと見るのだろうか。 ■因果応報という言葉を秀吉はどれだけ信じていたかはわからないが、自らの贖罪意識で彼女を側室に迎えることにしたのならば、結果としてそれはちっとも罪滅ぼしにはならず、むしろ自分滅ぼしの道をたどることになったというのは皮肉な結果だ。ただ死ぬ時に日の本一の幸せ者だと言わせてみせるというセリフはいつの時代にも通じる口説き文句の常套句だと思う。 ■それにしても、自分の膝の上で自分の旦那の恋路の手ほどきをしなければならない鈴木京香に激しく同情する。たまたま自分の名前がそう呼ばれるからと言っていつもバタバタ駆けてきて、ねえねえ言われて相談されても困る。私はあなたの妻であって、決してあなたのお母さんじゃない。 ■無防備に放尿している時に突然後ろに藤岡弘、が立っていたら、おそらくそれは止まる。ましてや、自分から進んで望んだわけではないのに、「、」の愛娘をいただくことになるとは。たとえ病弱でもあの人の膝頭の方が自分には合っているのにと大泉洋は思う。色恋とは全く関係のない結婚、私たちがタイムスリップしたとしたら一番受け入れがたいのは当時のこのような制度なのではないか。 ■変な話と前置きをして竹内結子は堺雅人に私たちはまたいつか出会って同じ日に死ぬと言った。そんな唐突な予言めいた戯言も異種ナレーションだと思って聞き流せばそれでいい。作者の都合で言わせたそんなセリフも美しい音楽にのせれば今後の大いなる伏線に聞こえたりする。 PS その昔、月9の女王だった竹内結子が演技派として復活したのは映画「サイドカーに犬」あたりだったように思う。堺雅人との共演と言えば「ゴールデン・スランバー」。あの時の映画風に言えば再会した二人は「だと思った」とか言い合うのだろうな。 お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
Last updated
2016/05/15 10:23:50 PM
コメント(0) | コメントを書く
[真田丸] カテゴリの最新記事
|
|