|
カテゴリ:真田丸
■三谷大河の第33回といえば12年前、2004年「新選組!」の「友の死」である。そういえば、あの年もオリンピックイヤーで、アテネ五輪が開催されている中での放映だったように思う。
■あの時の山南敬助の切腹には今思い出しても胸が熱くなる。自分たちの作った組織がもはや自分たちの手に負えぬほど大きくなって、その隊の存続を保つために義を持って貫いた総長の死。それを食い止めたいけれど、ただ見守るしかできなかった土方と近藤の涙。 ■そんな堺雅人と山本耕史が時を超えて、違う名前の役をもらって、再び命を懸けて渡り合っている。ただ今年の33回ではすんでのところで石田三成は命を落とさずに済んだ。あの時、隊の法度を破ってしまった堺雅人を救えなかった山本耕史が今度は(結果的に)惣無事令を破ってしまったことになった自分を彼に救われる。しかし3つのオリンピックを挟む伏線とはあまりにも壮大。 ■またしても「新選組!」の話をすれば、あの大河は毎回或る1日の出来事を描いていくという形式だった。今回の話は有働女史による「伏見の一番長い日」というナレーションにもあったように1599年1月21日の一日にあった出来事だけを(多少の回想シーンを含みながら)ドラマにしている。その日の天候が雪だったことは定かではないが。 ■石田三成による家康襲撃という策を徳川側に密告したのはなぜか小早川秀秋に仕えている江雪斎だったという描き方。人に恨まれる、人を恨むという伏線は誰にでも心当たりがあるはずだが、一度立ち止まって、私はあの時、誰に向かって何を言ってきたのかを考える余裕なんかあの時代の戦国大名たちにあったはずはない。 ■石田三成に人望がないことは十分わかった。それでも人間として全く魅力がないのかといえば、全然(損なことはあっても)そんなことはない。ただ人の思い出話に相槌を打ったり、頑張った人にねぎらいの言葉を発するのが苦手な男だったに過ぎない。しかし人間の価値の優先順位は(長澤まさみの解説を待つまでもなく)他人に慕われるか、そうではないかというところにあるということはいつの時代も変わらないのも事実のように思える。 ■それに対して上杉景勝の遠藤憲一が巧い。最も大事なもの、それは義。主人公真田信繁が敬愛するこの御屋形様はたとえ大事な場面では木偶の坊であったとしても、最終的に頼りになんかならなかったとしても、誰からも慕われ、守られている。人間の価値は戦の強さや声の大きさではないのかもしれない。 ■黒い碁石が東軍、白い碁石が西軍という見方は払拭できないが、真田昌幸がひとり白い碁石となって黒の陣内に入っていったことで、まるでオセロゲームの様に一斉に徳川側が白に染まって見えた奇跡は目の錯覚だろうか。大谷刑部も含めてそれぞれの大名の碁石の色が本当は何色なのかもう少し見定めたい。 PS ■伊達(ハセ)政宗の登場シーンに毎回笑わせてもらっている。秀吉御前でのズンダ餅から始まって、徳川側について再登場。小学生みたいにちゃんと名前を名乗って発言する今回の軍議も(細川忠興も含めて)かわいかった。長谷川朝晴、ジョビジョバ解散以来、会心の当たり役である。 お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
Last updated
2016/08/22 12:09:40 AM
コメント(0) | コメントを書く
[真田丸] カテゴリの最新記事
|
|