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「頂門の一針」 江口武正(新潟県・元小・中学校校長)
昭和42年というから、ずいぶん前のことです。私は当時、旧直江津市の指導主事をしていた。市内の小猿屋小学校から「両親学級を開き、しつけの事について話し合うので、是非来ていただきたい」という要請を受け出席した。話が進み、「基本的なしつけ」という話に入ってた時、50年配の農家の主人らしい方が手を挙げて発言を求められ、次のような話をされた。 「私は子供が大好きです。私は戦争で赤紙(召集令状)を貰って入隊し、すぐに外地へ行きました。朝鮮とそれから満州です。朝鮮も満州も内地と同じく食糧不足で、私達兵隊は大変ひもじい思いをしました。 そこで現地の子供をつかまえて、「マクワ持って来い」「スイカ持って来い」と、言いつけました。現地の子供は、日本の兵隊がこわいものだから、畑へもぐり込んで、マクワ瓜やスイカを盗んで、私達のところへ持って来てくれたものです。 その後、ニューギニヤに送られ、ここも食糧不足です。朝鮮、満州でしたように、現地の子供をつかまえて、「バナナ持って来い」「パパイヤ持って来い」と言いつけました。ところが、ここの子供達は「かんべんしてくれ」と言うだけでした。いくら怒鳴ったり、脅かしても「かんべんしてくれ」と言うばかりです。気の短い兵隊は、銃の台尻でぶん殴るのですが、子供達はヒイヒイ泣きながら「かんべんしてくれ」と両手合わせて哀願するばかりでした。 そこで、「どうして言う事を聞くことが出来ないのか」と言うと、どの子供も同じように空を指さして「おてんとうさんが見ているからできないんだ」と言うばかりでした。 私はその姿に心打たれました。私はそれまで、ニューギニアの人々を、文化の遅れた未開人として、馬鹿にした気持ちを持っていました。けれども、人間として、してはならないことは、誰に言われても、どんな時でもできないのだ、という最も人間らしい生き方が、親の教えとしてこの子供達の心と身体にしみ込んでいるという素晴らしい事実を、そこに見出した時、感動して心がふるえました。 私達は、基本的なしつけと言いますけども、このニューギニアの子供のように、人間としてまともに生きることについて、親と子供が真剣に話し合わなければならないと思うのですが、どうでしょうか」 あまりにも感動的な話に、会場はしばらく水を打ったように静まり返った。同じように軍隊経験のある私は、あの固い銃の台尻で殴られても「おてんとうさんが見ているから、盗みはできないんだ」とヒイヒイ泣く子供の姿を想像して、胸がつまり、涙がとどめもなく流れ出るのを押える事ができなかった。 日本の教育水準は世界的に見ても非常に高いとされるが、精神面では家庭における子供のしつけ一つを考えても、何か肝心なものが欠けているのではないかと思うのは私だけではないであろう。その点、ニューギニアの子供達の話は、私達に文字通り頂門の一針として忘れられない話である。 (『心に残るとっておきの話』第4集・潮文社)より 「頂門の一針」(ちょうもんのいっしん・ひとはり) 頭上に一本の針を刺すという意味から、急所を押さえて、強く戒しめること。痛烈だが適切な忠告。痛い所を突く教訓。 http://history.blogmura.com/ ←にほんブログ村 歴史ブログ お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
最終更新日
2010.10.23 12:12:10
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