テーマ:旅のあれこれ(10281)
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わずか2千年ほど前に、奈良盆地には広大な湖が広がっていたらしい。
同じころ、河内にも大きな湖があり、京都市南部にも湖があった。 それぞれ琵琶湖クラスの大きな湖水。葦の湿原広がる豊かな地だった。 奈良盆地は南から開け、盆地湖の後退とともに北へ広がります。 大阪平野も同じで、河内湖の北は猪飼野と難波高津宮があり、 南には羽曳野、近つ飛鳥があり、山を越えると遠つ飛鳥に繋がります。 紀元節の歌、第二章にはこう記してあります。 海原なせるはにやすの 池のおもよりなほひろき めぐみの波にあみし世を 仰ぐ今日こそ楽しけれ。 埴安の海こそ、古代奈良の盆地湖であったという。 海と湖と川の織り成す、古代の大阪から奈良、そして京都、滋賀です。 琵琶湖から大阪湾への東西の地溝帯、 京都盆地から奈良盆地への南北の地溝帯、 そしてもう一つ、大和川から奈良盆地への東西の地溝帯。 それらが交じり、つながり、ひとつになって、 古代大和の国が成立していたんでしょう。 有名な仁徳天皇のころの、日本のまほろばです。 すごく昔のようでいて、つい最近のことなんですね。 ちょっとびっくり。 記:とらのこども お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
最終更新日
2010.11.06 16:20:36
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