カテゴリ:カテゴリ未分類
「暴力」が話題になっている.
国会で仙谷官房長官が「自衛隊は暴力装置」と発言し,それに対し自民党の議員が噛み付いた.そこで仙谷氏と菅総理大臣が謝罪した.しかしブログやツィッターの世界では,「暴力」はマックス・ウェーバーが用いた「学術用語」だから,謝罪する必要はなかったという意見も出て,活発な意見交換?がされているらしい.あげくの果てには「ウェーバーはマルクス主義者」だったという抱腹絶倒言語道断支離滅裂な発言まで飛び出す始末. 自衛隊は軍隊なんだから,「暴力装置」だと私は思う.ただ「暴力」という日本語に抵抗感をもつ人もいる.その昔,日本共産党は,「暴力革命」という言葉を捨てて,別の言葉で言い換えた.「暴力」という言葉のネガティヴな印象を避けたかったのだろう. 言葉に対する感じ方は人それぞれに違っている.そういう感性の違いは大切にしたいものだけれど,抵抗感だけで処理しきれないこともある. たとえば「戦略」(strategy)という言葉は,企業活動などの関係で頻繁に使われている.こういう,そもそも軍事用語だった語が一般化したのは,「ゲームの理論」で学術用語として用いられたからだろう. 戦争を経験した世代の方たちの中には,この戦争を想起させる語に対し,著しい抵抗感をもつ人もいる.しかし,そういう抵抗感をよそに,今後も戦略という語は使い続けられるだろう. さて, マックス・ウェーバーが何を言おうが言うまいが,警察と軍隊は必要に応じ合法的に「物理的な力」を行使することができる組織である.これは社会が維持される仕組みを考えるうえで重要な事実である. その「物理的な力」を日本語で短く表現しようとすると,やはり「暴力」という語が最も適切であると思う.ドイツ語でゲヴァルト(Gewalt)という.ゲーテ/シューベルトの「魔王」のセリフ: Und bist du nicht willig, so brauch ich Gewalt. (嫌だと言うのなら,私は力を行使する) の「力」である.この物理的な力の行使を日本語で「暴力」という. 人は暴力に弱いものである.暴力が暴走を始めたら,悲惨な結末が待ち受けている.昔,そのことを日本人は学んだのでなかったのか? 暴力が暴走しないように,日本人はしっかりと警戒心をもつ必要がある.「自衛隊は暴力装置ではない」という主張には,そういう警戒心がまるで感じられない.となると議論は単なる言葉の問題では終わらない.もっと大きく取り上げられて,広く深く議論されねばならない. 安易に謝罪してしまった仙谷さん,それに菅さんも,一体何を考えているんだろう.今の民主党政権は腰砕けばかり.確固とした方向性が見えない.このまま惰性で続けるよりも,早く選手交代を考えた方が良い. 別の話題になりそうなので,今日はこれでおしまい. お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
Last updated
November 23, 2010 08:38:26 AM
コメント(0) | コメントを書く |
|