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少し古い話題である.
国際学力調査で日本が好成績を収めたというニュースがあった.「学力」という概念が外国にもあるのか,と不思議に思った. 「国際学力調査」は「学習到達度調査」とも言って,PISA(Programme for International Student Assessment)を日本語でそう呼ぶらしい.つまり「国際的に実施される,学生の現状評価のための事業」である.「学力」や「到達度」という表現は,事業の内容を噛み砕いた「意訳」であるらしい. 12月8日の朝日新聞は,PISAにおける日本の生徒の「読解力」の成績が,前回06年の15位から今回09年の8位に「回復」したことを大きく報じていた.他の2つの調査,「科学的リテラシー」と「数学的リテラシー」でも順位が上ったという. リテラシー(応用力)という書き方をしている.ということは,リテラシーと「応用力」とはイコールなのだろうか. 記事によると,「ゆとり教育」が大失敗で,03年のPISAが惨憺たる結果だったことから,さまざまな改革が実施された.そして「PISA型読解力」(考える力,書く力)を育成することが企てられた.始業前の「朝の読書」や,自分の考えを書かせる作業の実施.全国学力調査の実施と,特に「応用力」をみる「B問題」の採用.学習指導要領には説明や論述など言語活動の充実が盛り込まれ,授業時間数の増加,国語教科書のページ数の大幅増加などの改革が行われた.その結果が今回の成果である. 脱「ゆとり」を目指す文科省の方針は正しかった,と言いたげな提灯持ち記事であるが,この点には今は深入りしない.いま考察したいことは,教育の話になると頻出する「~力」という表現である. 学力,応用力,読解力,考える力,書く力.一般に「教育」関係の記事には,さまざまな「力」が頻出する.そもそも日本語には「~力」という表現が多いのだけれど,教育関係での使用頻度は突出している. 「力」という語の最も原始的?な使用例は,力学におけるものだろう.物体を動かしたり,動いている物体を止める作用が「力」である. 力学を含め物理学が扱う概念としては,引力,揚力,遠心力などと言うときの「力」のほかに,「出力」「電力」などのように「エネルギー」を意味する場合もある.「起電力」は電圧である.いずれにしろ厳密に定義された語であり,計測可能な「量」である. もっと一般には,「力」とは,ものごとを実行する能力という程度の意味だろう.ただし,興味深い事例を挙げるなら,radioactivity (放射線を発する能力)は放射活性,ないし放射能とは言うが,放射力とは言わない.電気の conductivity (電気を通す能力)は電気伝導度,ないし導電率であって,導電力ではない.つまり「力」概念の本家本元である自然科学では,「力」という語の無定見な使用拡大を避けようという心理が働いているように見える. では「学力」はどうか.学力の定義を質問したら,それは○○力とか,△△力とかetc. etc. を総合したものだ,というような答が返って来そうだ.ではその○○力とは?というような訳で,際限なく「~力」が登場することになる. 「読解力」はどうか.上の記事では「PISA型読解力」を「考える力,書く力」と言い換えている.「PISA型」と断るからには,そうでない「型」の「読解力」もあるのだろうか. 「~する能力」という程度の,軽い意味で頻用される「~力」であるが,それによるイメージ的効果は無視できない.つまり「~力」という語は,そう表現されるにふさわしい能力が実在し,かつ測定可能であるという確信に結びつき易い. そして実際,測定しようとする人がいる.測定すれば,数値で表現されるので,優劣上下を判定できる.この生徒はあの生徒より出来が良い,悪い,という見方をするようになる. ちょっと脱線. これは大勢の生徒を一斉に教えるときに採用されがちなスタイルである.生徒がごく少数であれば,もっと別の状態があり得る.この生徒はあの生徒より,こういう面で優れているが,あの生徒はこういう特性がある.という具合に,生徒の「個性」が,数値評価よりも前面に出て来るのでないだろうか. つまり,このブログでいつぞや書いた,「量が質を変えてしまう」という話です. 「量が質を変える」 http://plaza.rakuten.co.jp/tosana/diary/201010160000/ 生徒数が少ないときは個性に応じた対応をしていた教師が,生徒数が増えたためにクイズ形式や試験を導入し,生徒の個性よりも成績を重視するようになる,というパターンだ. 話をもとへ. 「~力」によって評価を数値化する必要が,なぜ生じるのだろう.生徒の個性を尊重しつつ人間を育成するというだけの目的なら,ことさら数値化をする必要はない.おそらく,競争を煽りたい人々が数値化を求め,かくして教育界に「~力」が蔓延することになったのだろう.日本ではそういう構造が既にしっかり確立していて,もはや違った観点からの教育論や教育再生論は聞こえてこない. 人は言葉によってものごとを考える.明確な概念規定のないエセ学術用語の垂れ流しは,誤ったイメージを広げ,教師や生徒を泥沼に引き込むことになる. お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
Last updated
December 28, 2010 10:39:55 AM
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