底冷えする京都
大阪に行くと改めて京都人の底意地の悪さがよく分かります。京都に住んでいる私は今はもう慣れてしまい何も感じなくなっていましたがよそに行くと、特に大阪や神戸など自分の生まれ育った場所に行くと大阪や神戸の人はなんと人情深く洒落ているのだろうと思うのです。(特に私は神戸についてはひいきの引き倒しです。)夫は神戸に行く度にヤンキーやすごい変な服の組み合わせの人を見つけては「ああ、ホンマ、tosh.ちゃんの言うとおり、『神戸の人はおしゃれ』やで~」無理やり割り込んできたりクラクションを思いっきり鳴らし威嚇する車に対しては「ホンマtosh.ちゃんの言うとおり、『神戸の人のマナーは最高』やで」と私の神戸びいきをからかいます。大阪に住んでいた時はあんなに暑苦しく感じた会社のおっちゃんやおばちゃんがありえないくらいに親切な人であったのだと今頃になって思います。私は京都に来て京都の人が笑っているのを見た事がないのです。嘲笑うのは日常であったとしても。私の冗談が受けた例(ためし)がないのです。(神戸や大阪では「ドッカーン」って感じやのに。しかも相手からも思い出しては腹がよじれるようなお返しがあるのに)京都に来てすぐは京都の雰囲気になじめず、今でもなじんでいませんがふさぎこんでは部屋の隅で膝を抱える毎日でした。息子が今よりも小さい時は公園で会う母親達のことを「なんでこんなイケズやねん?」「なんで冗談がまったく通じへんねん?頭悪いんか?」(←おまえがな)などと思っていました。もうそんなだから、こっちに来てからというもの他人と関わるのがすっかり嫌になってしまいました。「笑いなくて何が人生ぞ」と道行く人に心でメンチを切るようになってしまいました。昨日、大阪府のスーパー銭湯に行きそこの客も従業員も京都とは全く違うすごくいい雰囲気の中、思いやりを感じ、ああ、ここは近いけれども大阪であったか、と思い出したのでした。