もう英語は学ばなくてよい?
先日、ある動画を見ていたらこんなことを言う方がいらっしゃいました。「10年後、日本のユーチューバーはいなくなる」その内容を聞いてビックリ。「言語の壁が無くなる」私は以前、日本語のほかに、英語を使って二か国語でブログを書いていた時代があります。三か国語で書くと豪語したもののーIt was boasted that it was written by three languages, but.中国語でも書こうとしましたが、難しい。現在、ユーチューブでは英語や中国語のコメントも入りますので、その言語て返信しています。つまり、現在PCを使える人は、外国語で文章を書くこともさほど難しくないわけです。ただ、音声変換となると少し難しい。自動翻訳の日本語を見る限りまだまだです(*^_^*)しかし、近い将来は、英語で話す内容を、こちらは日本語で聞くような自動翻訳が現れる。つまり「言語の壁が無くなる」わけです。そうすると、現在のように英語を勉強しなくても英語圏の人と日本語で意思疎通が図れるようになります。ただ、英語を勉強する意味はある。言語自体を学ぶわけで無く、その考え方を学ぶためにという趣味的なものになってしまう訳です。しかし、「言語の壁が無くなる」と、国際競争は激しくなります。現在、日本語ができるという理由で日本だけで勝負している人は国際競争にさらされるわけです。日本仏教は、日本でしか通用しないのでさほど影響はありませんが、法話系の話はキリスト教やイスラム教との競争になりますし仏教の教え自体も上座部の東南アジア・スリランカなどに伝わる教えとの競争になってきます。エンタメ系などは、ライバルが何十倍にも増えますので、日本では通用していた人も通用しなくなるわけです。下手すると、全国ネットのテレビやラジオも競走に負けてしまうかもしれません。ただし、ローカルは生き残る。もう英語など勉強する時代では無いかもしれません。これまでは、自分の考えを外国に伝えるために外国語を学ぶ必要がありましたが、これからは、その人が持っているもの日本でいえば日本文化を学んでおく方が将来性があるような気がしてきました。皆さんはいかがでしょうか?ところで、どなたかが、私のお寺のクチコミに評価を入れてくださりました。その結果、評価が3.0になりました(*^_^*)良かった半面「グーグルクチコミ1.0 最低寺院住職の独り言」は使えなくなりました(*^_^*)たろうは海外でも通用する。こまたろうは、どうだろうか?