「日米開戦勝算なし」から読み取れる日本の勝算
先日、こんな本を図書館で借りてきました。【エントリーでP5倍 24日20:00〜】【新品】【本】太平洋戦争日本の敗因 1 日米開戦勝算なし NHK取材班/編太平洋戦争の敗因をシーレーン防衛から分析した本です。1 アメリカ軍は魚雷不足と欠陥魚雷に苦しんでいた。「日本の緒戦の攻撃で、アメリカはフィリピンに蓄えていた大量の魚雷を失い、かつ、完成した魚雷も不発や命中前に爆発するものが多く苦しんでいた。」「昭和18年7月24日、アメリカ潜水艦「ティノーサ」は単独航行していた日本のタンカー「図南丸」を発見し魚雷を15発発射し、全部命中したが、なんと13発が不発」日本がガダルカナル島から撤退したのが、昭和18年の2月ですからその年の7月といえば、もうすでに、太平洋戦線での敗勢に転じている時期なのですが、この時期でも、アメリカの魚雷に欠陥があったとはビックリするような事実です。開戦から一年半以上たっても、アメリカの魚雷の欠陥が改善されていなかったわけですから、日本が有利な講和を結ぶ可能性は有ったのではないでしょうか。2 アメリカは大西洋海域で、ドイツのUボートの通商破壊に 苦しんでいた。「昭和17年の前半だけで、アメリカは大西洋海域で580隻300万トンの輸送船をUボート(ドイツ潜水艦)の攻撃で失った。」開戦時に日本が持っていた輸送船は600万トン、資源輸送に必要とされた商船が300万トンですから、アメリカは日本の商船の半分をわずか半年で失ったことになります。いくら工業力があるアメリカとはいえ、これだけの船を沈められてはかなり苦しい立場に追い込まれていたはずですから、短期で日本が無条件降伏よりも有利な条件で講和できる可能性はあったのではないかと思います。さて、日本のシーレーン防衛が酷かったのが敗因というのは以前から知っていましたが、想像以上に酷いです。「昭和17年4月にやっと、護衛専門部隊が出来上がるが、旧式駆逐艦14、水雷艇4、商船を改造した特設砲艦6」このわずか24隻で、8300キロ3000隻の輸送船を守るという無謀な計画。昭和18年9月から輸送船の被害が急増して、一気に物資輸送量が激減、そのために、粗悪な輸送船を作って撃沈されるという悪循環に陥ります。護衛専門の艦船である海防艦が急きょ作られ始めますが、これがまた酷い。アメリカ ガトー級潜水艦 1,825トン 20.75ノット 3インチ(76mm)砲1門魚雷日本丙型海防艦 745トン 16.5ノット 12センチ高角砲2基爆雷アメリカの潜水艦より、三分の一程度の大きさで、速度が遅いのでこれでは勝ち目が無いですね。アメリカ太平洋艦隊のミニッツ提督はこう語っています。「日本軍は開戦当初、アメリカ潜水艦をなめていたため、輸送船の護衛体制を致命的におろそかにした。もし、日本軍が5~6隻の護衛艦を伴った30~50隻の大船団を組んでいたら、日本の船団は安全だったろう。日本軍は輸送船を単独で航行させたが、その撃沈率は、護衛艦のついた場合の二倍半にのぼった。そのうえ、アメリカ軍潜水艦を一番多く撃沈したのは航空機でも機雷でもなく護衛艦であった。もし日本軍が効率的な護衛体制をとっていたならば、アメリカ潜水艦の攻撃力は大いに減殺されただろう」太平洋戦争中日本が失った輸送船は2600隻860万トン。敗戦時に残っていた輸送船は開戦時の20分の1の31万トン。仮にミニッツ提督が言うように、日本が効果的な護衛体制を築いて輸送船の損耗率が860万トンの2.5分の1の350万トン程度に抑えられていたとしたら、昭和20年8月のの残存輸送船は540万トンになり、開戦時の9割の輸送を確保できます。国民の生活は窮乏したと推察できるが、あれほど酷くはならなかったし、かなり有利な講和が出来ただろう。皆さんいかがでしょうか?