鶴舞う形の・・・
カテゴリ未分類0
健康302
パソコン192
趣味23
家電45
幼少時代15
小学生時代49
中学生時代84
高校生時代161
大学生時代268
家族49
親戚29
想い出130
友人88
幸福18
不幸33
社会人95
二十代118
三十代53
四十代35
五十代0
回想113
バイク・車416
旅行425
興味48
嗜好23
恋愛63
グルメ153
電気製品92
面白い話120
TV・ラジオ158
総務課63
マネー382
ビックリ181
会社92
初体験26
買い物35
長男56
次男167
長女56
まさか171
猫199
社会ネタ165
生活153
映画33
洋画1487
邦画854
アニメ・CG22
アジア映画245
韓国映画528
セカンドライフ150
プチハッピー35
孫132
女房殿85
スマホ117
母親206
危険予知148
太陽光発電70
ネット・新聞ネタ71
備忘録35
IT・IoT88
ガッカリ66
なぜなぜ75
株61
夢・希望12
台湾映画54
香港映画32
タイ映画15
中国映画54
群馬県ネタ21
終活9
訪問者54
フランス映画53
イギリス映画62
感動11
海外旅行121
海外移住5
インド映画8
アメリカ映画388
EV91
車中泊3
ライフハック11
インドネシア映画5
ひらめき2
目から鱗9
私だけ?10
ロシア映画5
風景3
修理4
全118件 (118件中 1-50件目)
1 2 3 >
『でんぼ』と言う言葉を聞くと必ず思い出すエピソードがあります。会社勤めをしていた頃に新人の営業マンH君が「綱取さん、業者さんからオメ~は『でんぼ』ばっかり言ってるって言われたんですけど『でんぼ』って何ですか?」と訊いてきたので「H君、この話は他でしないほうが良いよ『でんぼ』って言うのは『嘘』の事だから・・・」と教えてあげましたが営業マンが「『でんぼ』ばっかり言ってる」って言われるのは人様には言えない非常に不名誉な事でしたね。
2019.01.22
コメント(2)
結婚当初、彼女は私が会社から帰るまで夕飯を食べずに待っていたが親父の「いつ帰って来るか分からないから先に食べた方がいい」と言う言葉で家族と一緒に夕飯を食べるようになった。甘い新婚生活は二人きりでは無くて家族と一緒の生活だった。
2014.01.05
コメント(0)
結婚時は両親と祖母と一緒に暮らしていたので彼女にしてみれば「姑」が二人居るようなものだったが「姑同士」の諍いの方が激しかった。
2014.01.04
会社のKSさんが新婚さんだったので結婚が決まってからは結婚式や会社関係への対応について色々とアドバイスを受けた。
2013.10.01
ある時、O所長と同行した帰りに社内の売店に寄ったことがあった。その日は売店は休みだったが合鍵を持っていたO所長は店に入って日用品を数点ピックアップして「後で清算するからいいんだ」と持ち帰った。私は本能的に私の関知する事では無いと思った。
2013.09.15
「天皇」と呼ばれていたO所長からも信頼される様になると所員全員から声が掛かる様になって営業活動も順調になって来た。
2013.09.14
当時は「○ッサン車」のディーラーは4社あったがやがて「○ッサン車」の商談や中古車の商談が出た時は優先的に私に話が回ってくる様になった。
2013.09.13
ある時、O主任から「東郷君、バイクの免許ある?」と訊かれて「大型でも大丈夫ですよ」と答えたら「ホンダNSR」の納車を頼まれた。「ホンダNSR」のエンジンは私の「ヤマハRZ」よりも円やかな感じで吹き上がった。
2013.09.12
当時はパーソナル無線が流行っていたがO主任もお客さん達と無線クラブを作っていた。私も誘われたが私はどちらかと言うとアマチュア無線の方だったので参加することは無かった。
2013.09.11
S主任は私よりも10歳以上年上だと思ったが納車引取りの行き帰りには家庭の話や会社の話を色々と話してくれた。その頃は「アルミバルコニー」や「インバーターエアコン」を買いたいと言っていた。当時、「インバーター」は出たばかりで珍しかったが私も習って高額な「インバーターエアコン」を買った。
2013.09.10
新参者の私はなかなか「イ○○○○○○ア」に受け入れて貰えなかったが夕方、早めに訪問しているうちにある日S主任から納車引き取りの手伝いを頼まれた。一度手伝うとそれからは毎日頼まれるようになり店内にも私の指定席が出来るくらいに訪問を期待されるようになった。
2013.09.09
「イ○○○○○○ア」の営業のO主任は多趣味でどちらかと言うと若年層の担当だった。
2013.09.08
「イ○○○○○○ア」の営業のS主任は妻沼出身でO所長からの人望も厚かった。
2013.09.07
「イ○○○○○○ア」のO所長は各ディーラーのセールスマンから「O天皇」と呼ばれていたがまさにワンマンオーラが射していた。
2013.09.06
「イ○○○○○○ア」には天皇と呼ばれたO所長営業のS主任、O主任と工場長とサービスマンが数人とアシスタントが二人居た。
2013.09.05
私が担当になった「イ○○○○○○ア」では「○ANYO」の社員が朝、車検のクルマを自分で持ち込んで自転車で出勤するシステムを採っていた。クルマを購入する時は、社内ローンが使えてどこのメーカーのクルマでも買う事が出来た。
2013.09.04
私が担当になった「○ANYO」の中には福利厚生施設として「イ○○○○○○ア」と言う会社があって主に「○ANYO」の社員の為にクルマを売ったり整備をしたりしていた。私はこの時、「福利厚生」という言葉を初めて知った。
2013.09.03
冗談が上手くて洞察力もあり記憶力も良かったNM君は一緒に居て楽しかったが営業所内では少し浮いていた様だった。
2013.09.02
NM君はまるでドン・ファンだった。ファミレスに可愛い娘がいると言って通いつめ「東郷さん、俺があの店に行かなくなったらあの娘をものにしたと思って下さい」などと豪語していた。妻子持ちだったが「千人切り」などと言う言葉も口にしていた。
2013.09.01
NM君はギャンブルも好きで当時、喫茶店のテーブルゲームに嵌っていた。ポイントを換金してくれる喫茶店があってNM君はポーカーゲーム、私は麻雀ゲームをしていた。ポイントで食べた「ハムエッグ定食」は美味かった。
2013.08.31
兎に角、NM君は冗談が好きで「東郷さん!俺の言う事は千三つ位に聞いて下さい」と自分でも言っていた。本当の事が「千の内に三つが千三つ」で「一万の内にゼロなのがマンカラ」という事をこの時知った。
2013.08.30
NM君はブランド物にも興味があって「アンドレクレージュ」や「ピアジェ」が好きだった。付き合いで御徒町まで「ピアジェの腕時計」のコピーを買いに行った事があったが「俺の事はコピーNMと呼んで下さい」なんて冗談を言って笑わせてくれた。
2013.08.29
NM君はスズキの「GSX-R400」を持っていて革ツナギを着て乗り回していた。よく「汚れた英雄」の映画の台詞を真似しては笑わせてくれた。
2013.08.28
営業課の中でNM君は一番若かったが身長は一番高く既に妻子持ちで市営のアパートに住んでいた。
2013.08.27
営業課のNM君は唯一私よりも年下だったが営業マンの中では一番の野心家だった気がする。
2013.08.26
営業課のSY君は私と同期入社で新人の時に一緒に桐生で営業研修した営業マンだった。入社以来ずっと営業職だった。
2013.08.25
営業課のKSさんに営業活動や色々な事をアドバイスして貰っているうちにKSさんがST課長だけにとても気を使っているのが分かった。「太鼓持ち」と言う言葉が思い浮かんだ。
2013.08.24
営業課のKSさんは私と同じ歳だったが一年先輩だった。先輩として営業活動や色々な事をアドバイスして貰った。
2013.08.23
営業課のSFさんは私よりも一歳年上だったが社歴は長かった。本人は結婚願望が強かったようだが独身だった。顔に似合わずとても綺麗好きでいつも自分のクルマを洗車していた。
2013.08.22
営業課のYJさんはお婿さんだったが恋多き男性だった。昼間から不倫相手の自宅へ入り浸っていたり不倫相手の旦那さんが営業所に殴り込んで来た事もあったようだがやがて離婚して子供も奥さんに引き取られてしまった。飲み会の席で所員から「死んだはずだよお富さん」の歌で詰られて号泣していた事が一番印象に残っている。
2013.08.21
営業課のKY主任は私よりも2歳年上だったが営業マンとしてはずっと先輩だった。奥さんが「太陽神戸銀行」に勤めていて付き合いで口座を作ったが使うことは無かった。当時、「花粉症」という言葉を初めて聞いたのはKK主任からだった。
2013.08.20
営業課のKY主任はまるで堅物の証券マンの様な風貌で暗そうでちょっと取っ付きにくい感じの営業マンだったがある時、飲み会のカラオケ大会でダンスを踊ってくれた。そのゴーゴーダンスともモンキーダンスとも付かない踊りを見てとても親近感を覚えた。
2013.08.19
「注文書に印を貰うまでは帰らない」といった感じの商談から帰りながらMM主任に「こんなに夜遅くまで商談していてお客さんに嫌がられないですか?」と訊いてみた。すると「何言ってるんだい東郷君、大泉に一体何人居ると思っているんだい?その中の何人かに嫌われたって気にすることなんか無いんだよ」と言われた。私はこの人とは絶対に相容れる事は無いと思った。
2013.08.18
ある日、MM主任がクルマが無いと言うので私のクルマで同行した事があった。一日の最後に商談に行った家では夜の10時過ぎまで粘ってまさに「注文書に印を貰うまでは帰らない」といった感じだった。結局、MM主任の自宅まで送り届けて私が帰宅したのは夜の11時を回っていた。
2013.08.17
TN所長とST課長に説得されて「○○○○○○○○」へ引き継ぎの挨拶に行ったがその時でさえ「会社がなんと言おうと俺は今まで通り営業する」とMM主任は最後まで言い張っていた。
2013.08.16
営業課のMM主任は私が配属される予定の「○○○○○○○○」をテリトリーとして持っていた営業マンだったが「会社の命令でも○○○○○○○○は渡せない」と言ってテリトリーを渡すことを拒んでいた。私は世の中に「こんなにハッキリと利己主義を主張できる人がいる事」に驚いた。
2013.08.15
営業課のAK主任は姉と同じ高校卒で姉と同期の入社だった。言いたい事はハッキリ言う如何にもベテランセールスと言う印象だった。
2013.08.14
営業課のMF主任はST課長から引き継いだテリトリーのせいか営業所でもトップクラスの成績だった。いつも独楽鼠のように動き回っていた。
2013.08.13
営業課のST課長は昔からずっと太田で営業をしていた人でダイヤモンドセールス賞も獲ったことがあると言う話だったが脳溢血で一度倒れたことがあるという事だった。営業マンの管理は全てST課長がやっていた。
2013.08.12
ある時、会社から帰宅する時に「これから十軒寄って帰ります」と冗談で言ったら「何言ってるんだ、真っ直ぐ帰れ」とTN所長から返されてしまった。そんなユーモアもある人だった。
2013.08.11
TN所長には、元先生だったとか、不倫で再婚したとか色々な噂があったが拠点長にしては珍しく、仕事はST課長に全て任せて自分は社員全般の面倒を見ていると言う感じの人だった。
2013.08.10
私が配属された太田営業所にはTN所長、ST課長、MF主任、AK主任、MM主任、KY主任、KK主任、YJさん、SFさん、KSさん、SY君、NM君が居て前橋営業所、高崎営業所と並んで大所帯だった。
2013.08.09
そして私は「四類営業」として大泉の「○ANYO」の担当になった。「○ANYO」と言うと高校の時にラグビー合宿でお世話になった事が思い出された。
2013.08.08
「館林の○ALSONIC」担当の「四類営業」は一年後輩のKT君だった。KT君は群大卒で入社以来ずっと館林方面で新車の営業をしていた。
2013.08.07
伊勢崎の「○本電子」担当の「四類営業」は一年先輩のNKさんだった。NKさんは中古車の営業マンで以前会社のキャンペーンで「シンガポール旅行」へ行った時にホテルが同室だった人だった。学習院大学卒の英語が得意な人という話だった。
2013.08.05
高崎の「○ITACHI」担当の「四類営業」は同期のYT君だった。YT君は入社以来ずっと新車の営業をしていた。
2013.08.04
秋の異動の時にNK部長から召集が掛かり説明があった。会社の新規プロジェクトとして「四類営業」というものを作り高崎の「○ITACHI」、伊勢崎の「○本電子」、大泉の「○ANYO」、館林の「○ALSONIC」内に社員向けの営業マンを常駐させるという事だった。
2013.08.03
パワハラの蛇の生殺しの様な勤務が続いていたが秋に突然異動の話があった。今度は私の嫌っていた「新車営業マン」だったが今の状況から抜け出すには「渡りに船」だった。
2013.08.02
その後も相変わらずOA所長の私への嫌がらせは続いたが私以外にもOA所長のパワハラの犠牲者は数人居た。
2013.07.31
電話で祖父の交通事故の事をOA所長に報告すると「東郷がそんなザマだからお祖父さんが事故に遭うんだ」などと理不尽な事を言われたが祖父の交通事故の件で私の退職問題も有耶無耶になってしまった。
2013.07.27