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聖徳太子と斑鳩の杜

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カテゴリ:聖徳太子関連書籍

『上宮聖徳法王帝説』ウィンク上宮聖徳法王帝説

 『帝説』には、太子の名称として「厩戸豊聡耳聖徳法王」「上宮厩戸豊聡耳命」「厩戸豊聡八耳命」「東宮厩戸豊聡耳命」「等已刀彌々乃彌己等」「太子聖徳王」「聖徳法王」「聖王」「上宮王」と統一性なく多くが記されている。
 『帝説』は九世紀に作られた聖徳太子の伝記である。はじめは欽明天皇から聖徳太子までの系譜及び事績のみからなる書であったが、薬師像光背銘・釈迦如来光背銘や諸々の事績が付加され現状となったと推定される。古写本は、法隆寺伝来の知恩院所蔵本(国宝)がある。この知恩院所蔵本の裏書きには承暦二年(一〇七八)の年紀が見えることより、書写はそれ以前と考えられる。家永博士は『帝説』の内容と構成のうえから成立年代を五部に分割し、第一部を皇極天皇二年から大宝三年までの成立とし、第二部を奈良初期、第三部を延喜十七年から平安中期頃、第四部を天智朝から平安初期、第五部を大宝以前と推定される。このように段階的に成立したために、聖徳太子の名称が多く記されているものと思われる。また聖徳太子撰述と云われる『法華義疏』に関する記録の成立年は、上限は決められないが、下限は天長七年(八三〇)か、もう少し上げても宝亀二年(七七一)であろうと述べられる。ぽっ

目から鱗の一冊 星星星

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最終更新日  2006年09月15日 10時28分23秒
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