種のない生活
僕が植木に、タネを撒き始めたのは、10歳のときだった。最初は、柿の種だった。おばあさんが、スーパーから買ってきた種無し柿だ。品種はわからない。種無し柿だけど、種があったから、珍しくて植えてみたんだ。だって、心躍るだろ?誘うだろ?「タネのないはずの柿なのに、その種を植えたら、どんな柿がなるんだい?種無しか、種ありかい?」そう、僕は10歳になったばかりの、このちょっとばかしの欲情に駆られて、種を植えてみたんだよね。まぁ、かれこれ、種を植えてから、25年経ち、実家には今じゃあ立派な柿の木が聳え立っているよ。志麻子が言うんだよ、そう志麻子は僕の奥さんで小説家さ。「あなたぁ、今晩、久々に3丁目のあのカフェにいかない?」僕は夜カフェめぐりが好きなのもあって、「いいぜぇ、志麻子、お前のためなら、どんな柿のパフェでもデザートでも食べてやるぜー」僕はだって、熱烈な柿フェチだから、柿のお皿から、柿のテーブル、柿グッズを集めるのが、大好きなんだよね。その晩、こんな面白い話があったんだ。カフェの韓国人の店員さんが、頼んだオムライスに、柿のフルーツタルト風特性ソースをかけてくれたんだよね。それを見た瞬間、志麻子は、「私、柿の特性フルーツタルトソース大好きなの!そそるわ!」って言いながら、僕に離婚証明書を叩きつけて、僕は判を押したんだ。僕はそのオムライスを横目にみながら、その文字を読んだんだ「サ・ラ・ン・ヘ・ヨ」これには驚いたね。その後、僕は再婚した。新妻の名前は、志津子。僕は、子種がないと思ってたんだけど、子供が生まれた。あんまり僕に似ていない子で、肌の色が黒くて、芸人のアンソニーみたいだけど、可愛いから、柿太郎って名づけた。皆は彼をカッキーって呼ぶんだ。そうそう、実家の柿の木は、その後、台風が来て、折れちゃったんだ。今でも、その柿の木から、落ちた柿の種で、別の木が何本か生えている。。隣の家の隣人もいい人で、米軍基地で勤務している肌の黒い男性。そのマイケルも柿の木を沢山育てている。僕には1人弟がいて、マイケルにそっくりで、肌も黒かった。所詮、種のあるなしなんて、見た目だけじゃぁ、わからないし、真実なんて、天候と一緒だよ。