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カテゴリ:情報量理論
よく情報量理論はむずかしいと言われます。確かに、ちょっといかめしい名前です。でも、なじみのあることばを使えばわかりやすいかというと、そうでもありません。物理学に「超ひも理論」というのがありますが、名前を聞いただけではどういうものかちょっと見当がつきません。
むずかしいと言われるものを、いや本当は易しいですよと言ってみても、だれも納得してくれそうにありません。それよりは、むずかしいけれども、わかりやすい理論だと思ってもらえるように、できるだけ丁寧に説明してみることにしましょう。 情報量理論というのは、言語の問題や翻訳の問題を情報伝達のいちばん根源的なところまで遡って考えようとしたものです。学校の英語の時間は、英語とは何か、どこで使われているか、なぜ英語を勉強するか、世界にはどんなことばがあるかなど、いっさいの説明がなく、いきなり This is a pen. から始まりました。 ですから、私たちが心に思ったことや感じたこと、考えたことを伝えるという問題まで遡ろうとすると、そのために使うことのできる概念や表現がすぐには見当たりません。あまり使わないことばを、物置から引っ張り出してきたり、場合によっては新たに作ったりしなければなりません。 そのために、情報量理論を学ぼうとする人は、比較的短かい期間のうちに、これまでに遭遇したことのない概念や用語をいくつも耳にすることになります。それが、情報量理論を必要以上にむずかしいと感じさせる原因になっています。 もうひとつ、情報量理論にはまだ、まとまったかたちで活字になったものがありません。直接耳から聞くと、そのときは活字を読むよりもよくわかったような気になるものですが、あとで復習しようとしても、そのとき耳にした音声はもはや再生することができません。ですから、うろ覚えや誤解をかかえたまま、いざ翻訳に応用しようとしても、確信をもってできることよりも、不安を覚えることの方が多いと感じるのもムリからぬことです。 そこで、これまで活字にしたことがない内容も含めて、少しずつ書いていこうと思います。 私たちが心に思ったり感じたりすることは、非常にとりとめのないもので、自分自身でもなかなかその全容を掴むことができません。 こうして、心に浮かんだり、考えたりすることを原風景と呼ぶことにします。 当然、そのままでは他人に伝えることができません。そこで私たちは、その原風景を推し量るのに有用な情報を音声ないし文字の形に置き換え、その音声や文字を介して思ったことや考えたことを相手に伝えようとします。正確には、音声や文字を介して原風景を推し量ってもらうわけで、どんなに工夫しても原風景がそっくりそのまま伝わるわけではありません。 そっくりそのままを伝えることは不可能ですが、限りなく近づくことはできます。そのためにも、できるだけ有用な情報を過不足なく選択する必要があります。わかりきったことばかりを繰り返す人の話はくどく、肝心な情報を伝えない人の話はわかりにくいものになります。 こうして、原風景を推し量るのに有用な情報を、音声ないし文字の形に定着させたものが言語であるわけですが、見方を変えれば、データと呼ぶことができます。 世界にさまざまな言語があるということは、言語というデータにさまざまな形式のものがあるということです。日本語、フランス語、スペイン語、アラビア語、フィンランド語、ロシア語、インドネシア語などのちがいは、データの形式のちがいだということになります。もちろん、英語というデータの形式も、この地球上に無数に存在する形式のひとつにすぎません。 以上が、情報量理論のいちばん根本となるものです。 次回は、この形式と情報の問題を取り上げます。 ←ランキングに登録しています。クリックおねがいします。 お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
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