職場に困った上司が居て、直ぐに怒鳴る。女性に対しては、差別やセクハラは当たり前。そんな環境で毎日仕事をしていると、幸、不幸は存在しないと言われても、頭では理解出来ても現実には不可能だと思うとおっしゃる人がいて、ましてや穏やかに受け入れるなんて絶対に無理だとおっしゃるんです。そうだと思います。無理な人には理解して受け入れるのは無理だと思います。そしてその人はこうも言うんです。穏やかな人の周りには、穏やかな人が集まって居るから穏やかでいられるんだと。
この様におっしゃるこの人にラッキーが返した言葉は、その通りです。で、あなたはどの様にありたいんですか?と尋ねると、出来ることなら穏やかで居たいとおっしゃるから、答えはただ一つです。穏やかで居たいのであれば、穏やかにして居ればいいだけの事ですと答えると。その穏やかにして居られない原因を作る人が居るから、穏やかにして居られなく成るんだと言うんです。それは、本末転倒の話しです。
誰からも嫌われる難義な人が居たとします。そんな千人に独り万人に独り居るか居ないか解らないほどの難義な人を、何時もとても穏やかに暮らしている人の前に出したら、その穏やかに暮らしている人は、穏やかさを失うと思いますか?穏やかな人は、どんなに難義な事を言われても投げかけられても、そのことを受け入れて、お互いに楽しく過ごせると思います。なぜなら、本当に穏やかに暮らし居る人と言うのは、もうすでに決心がされて居て腹が動かないんです。宙に浮いて居る人は頭で考えたり判断したりしているから、事と次第だと理由を付けて自分の思う様に成らないことを否定しているだけのことなんです。
そして物事を法則に照らして説明すると、難義な人が居るから穏やかには成れないと言っているから、穏やかに成れない原因が目の前に現れるんです。ですからこの人は、穏やかな人達ばかりの中に入っても、やはり穏やかに成れない原因を自ら作り出すでしょう。言っていること解りますよね。・・・気性の荒い人は、やはり気性の荒い人を引き寄せる結果に成ります。この話しも、見方を変えて言うと、この難義な上司は、こんな上司が居るから穏やかに成れないと言っているあなたが、投げかけていることを教えてくれている存在に成るんです。
そうなんです、あなた自身が、難義な人だから、難義な上司があなたの前に現れているんです。と、言うことは、難義な上司は、あなたの師と言っても良い存在では無いですか。と、言いたかったんですが、言いませんでした。言っても無駄だと言う気がしたから言わずに日記にしたんです。ラッキーは日記には色々書きますが、日常では人に対してこの方向が正しいなどとは言わない人です。人は人、自分は自分とはっきりと、割り切って居ますから、他人の考え方や生き方を否定はしません。出来る限り受け入れて笑いに繋げることを心掛けて居ます。
それがラッキーの生き方なんです、だから、例え難義な人でも、ラッキーに近寄って来る人は、ラッキーの前では笑って居ます。ここで言う笑いとは、こっけいな話しばかりが笑いでは無く、人が納得する話しも笑いの範囲だと言って居ます。なるほど上手いこというなぁーと、相手が苦笑いを浮かべたりするのは一瞬だけでも穏やかに成れている証ですから。ラッキーの言う穏やかとは、和心であり、和道を目指しているんです。和心とか和道と言う言葉はラッキーが、自分で作って自分の指針にしているものなんですが、この世で生きるとはそう言うことでは無いですか・・・
あなたの幸せと健康を祈ります(^^)v
【ラッキーの一言】こうあるべきと言う考え方を手放した時から、あなたの心が楽に成る。
ラッキーでした(^O^)/
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