今日は、思いやりの心で暮らす、おばちゃんの話しを思い出したのでご賞味あれ。その、おばちゃんの名前は、君子おばちゃん。「君子おばちゃん、また、畑のトマトとキュウリを誰か取っていってるよ」。そうかい、また、誰かが取っていってたかい。欲しい人が食べて、美味しい、美味しい、言うてくれたらええ、と、何時ものんきなものです。
肥料をやり、草を取り、小さな苗から我が子を育てるようにして毎日毎日大切にして育てた野菜たちです。あまりのお人よしにあきれて、「メリケン粉でも塗って、農薬散布と札をつけといたら、取られへんかもしれん、と、悪知恵をつけても」ええ、ええ、そんなこと、したらあかんよ、と、笑って居るだけ。
そんなある日、近所のお母さんが子供を連れて謝りに来た。この子は、もう!!と叱られても、子供はむくれて口を開かない。子供は日本の宝物、そりゃあ、そんなに叱らんでもええ、お母さん、この子は、本当はええ子よ、なあ。君子おばちゃんが頭をなでると、今まで口を開かなかった子供の顔が急にぐしゃぐしゃになり、大声で泣き出した。
違う、ぼくは悪い子なんや、ぼくが悪いんや、トマトさんキュウリさん、ごめんなさい。もう、取りませんから、ごめんなさい、ごめんなさい。ええ子になるからごめんなさい。お母さんの胸に顏を隠す。その背中に、「やっぱり、ええ子やった」と、君子おばちゃんが言いました。
戦後、高度成長とやらに心を奪われ、日本人が忘れて居る気持ち心ではないでしょうか。訴訟だ、裁判だで白黒つける習慣はしこりが残り恨みを作り、因縁が真っ黒い渦となって渦巻いて居る。文明社会と呼ばれている社会は、真っ黒い竜巻の様なものではないでしょうか。・・・
あなたの幸せと健康を祈ります(^^)v
【ラッキーの一言】便利の良さより平和な方が良いなぁー
ラッキーでした(^O^)/
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