以前の日記の中を探したんですが、高天原の詩と古代日本人の生き方が書かれている日記がどうしても見つからないので、再度、簡単でいいですから教えて貰えませんでしょうか。ありがとう日記は、日記の内容がそのままタイトルに成って居ないですから、見つけにくいかも知れませんね、1500近い数に成りますから。では、日木流奈君(ひきるな)が作詞した「天と地をつなぐ物語」の逸話を少し紹介します。日木流奈君は全身麻痺の少年で、横浜に住んで居て、その彼の処に、ミネハハさんと言う歌手の女性が訪ねて来た時のことなんです。
お互いが非常に共鳴し合い、お姉ちゃん僕は歌えないけど、歌詞は書けるから、お姉ちゃん、歌ってくれるとお願いしたんです。日木流奈君は指で五十音表を指して歌詞を書きました。その詩は高天原のことを書いた詩で、「高天原は遠いところにあるのではありません。数千年昔の遠いところにあるのでもありません。高天原は今ここにあるのです。天と地をつなぐ物語をつくるのはあなたで、あなたが主人公です。さあ、一緒に今を生きましょう」ミネハハさんはコンサートの最後に何時もこの詩を歌うそうです。作曲は篠原啓介さんで、ラッキーは、高天原は実在したと思っています。場所は、琵琶湖の東側、近江平野に。
古代の日本人の生き方は、「ナガタ」「ナガサキ」と言う生き方で、「ナガタ」とは、あなたが楽しいと思ってくださることが私の幸せです。「ナガサキ」とは、あなたの幸せが先で、私が何かお役にたてることがあればうれしいと思って働くことを意味しています。利他の精神で暮らして居たんだね、古代の日本人は。何時も相手のことを気づかって生きて居た。その精神が接待の心にも繋がっているんではないでしょうか。人を思いやる精神は3.11の時にも世界中から評価されたでしょう。この「ナガタ」「ナガサキ」と言う言葉は、日本書紀や古事記の原典と言われている「秀真伝(ホツマツタエ)」に記されていて、アマテラスが幼少の頃、豊受大神から日本伝統の生き方について学んだ時に教わった生き方なんです。
古代の日本人が大切にしていた生き方は、宇宙の法則に照らして見ても理に適った生き方で、何時かの日記にも書きましたが、古代では日本の天皇が世界を統一していて良き時代が長く続いて居たんです。この様な話しに成ると科学の信者の人達はアホらしくて酒の肴にも成らないと言われると思いますが、ラッキーは竹内文書も真実だと思っているし、楽しくて幸せに成れる話しは大好物ですから此れからも心温まる話しを熊手で集めて来たいと思っていますと言う処で本日はこの辺りで、さようなら、さようなら、さようなら、さようならは五つのひらがな、ロスプリモスの歌だったけなぁー、たった五つのひらがなに秘められた女のすすり泣きってか・・・
あなたの幸せと健康を祈ります(^^)v
【ラッキーの一言】何が真実かも大事だけれど、温かい心に成れることを見つけることはもっと大事なんだぜ。
ラッキーでした(^O^)/
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