今年最後は、暗い話。
朝日新聞に「孤族」という記事が連載されています。
高度成長時代、みな「個」を求めました。家族、ふるさとといったしがらみから自由でありたいと、東京に出て、個人で動けることの開放感を味わっていたような気がします。
あのころは、世の中は豊かに暮らしやすくなるものだと思っていました。
そうじゃないんだ、と気がついたときは、もう遅かったのです。
私自身、高校まで暮らした「田舎」の重さを後になって感じています。その小さい時のつながりを大事にして生きる、それが本来の生き方ではなかったかと。
もちろん優秀な人は都会に出て、出世し、という生き方が出来でしょうが。
そうでない人間は、ふる里を捨てるべきではなかったのではと。
それなら、帰れば良いではないか、と言われるかもしれませんが、ここまで勝手に生きてきて、そうは簡単に問屋がおろしません。
それに一人帰ってもつながりは切れてきまっているし、また、今頃帰っても取り戻せません。
東京でのつながりは薄いです。
一歩間違うと、この新聞の特集に出てくる人たちのように、、一人、人知れず死んでいた可能性も大きくあります。
たまたま運がよくて、生きています。
でも、行き着く先は、必ず、孤独死です。
死んでいても、誰にも気付かれない、死んでいるその姿が目に浮かびます。
生まれた所で暮らす、これが、一番だったのではないかとそういう姿を想像しても、思えるのです。
地縁というやつです。血縁も、東京よりはあります。
なんとかしてくれるのではないか、と思うのです。
そんな思いの中、「孤族」の連載は、身にしみます。
「高齢になったら、病気になったら、職を失ったら、という孤立のわなが。血縁や地縁という最後のセーフティーネット、安全網のない生活は、時にもろい。」
そのもろさだけは、しみじみと感じるのです。
「希望」はあるのでしょうか。