ついに引退を表明した横綱・稀勢の里! 引退会見では涙をぬぐいながら記者の質問に答えていた
この記事は、2017年1月25日に更新の、祝 日本出身の横綱としては19年ぶり! ついに大関・稀勢の里が第72代の新横綱に! のその後となる内容で、横綱・稀勢の里の引退に関する内容となります。みなさんもすでにご存じのように、第72代横綱・稀勢の里(きせのさと・32歳・田子ノ浦部屋)が、現在取組が続いている大相撲初場所4日目に、ついに現役引退を決断したことを、師匠の田子ノ浦親方(元幕内・隆の鶴)が1月16日に明らかに。その日の午後に東京・両国国技館内で引退会見が行なわれ、テレビのワイドショーやニュース番組でも会見の内容が頻繁に放送されたのでした。日本相撲協会から、「激励」「注意」「引退」のうち、決議の中でもっとも軽い激励を決議したことで、進退を懸けて、初場所に臨んでいた稀勢の里でしたが、初日から3連敗を喫することに。昨年秋場所千秋楽から不戦敗を除いて8連敗となり、1場所15日制が定着した1949年夏場所以降の横綱では貴乃花を抜いてワースト記録を更新したこともあり、今場所での3連敗以降は、その去就に注目が集まっていました。そもそも、稀勢の里がつまずいたのは2017年3月の春場所13日目に負った大怪我だったそもそも、稀勢の里がつまずいたのは、横綱として初めて臨んだ、2017年3月の春場所13日目に左胸筋損傷の大怪我を負ったことでもありました。 13日目の横綱・日馬富士戦で左肩上腕付近を負傷しながら、千秋楽で大関・照ノ富士を本割で破り13勝2敗に。優勝決定戦では土俵際での執念の右小手投げで再び照ノ富士を下したことで、新横綱としては95年初場所の貴乃花以来、22年ぶり8人目の優勝。初場所から2場所連続優勝を飾ったことで。「稀勢の里時代」の到来を予感させていたのでした。ところが、強行出場した末の劇的優勝の代償は大きかったようで、3場所連続優勝を狙った翌夏場所は、春場所で痛めた患部を悪化させ、11日目から途中休場することに。その後も故障が完治せず、2018年名古屋場所までは、途中休場や全休を含め、なんと8場所連続休場。年6場所となった1983年以降では、元横綱で元親方の貴乃花の7場所連続を抜いて、横綱の最長連続休場を更新したのでした。長い休場を経て、進退を懸けて臨んだ2018年の秋場所は、優勝戦線には入れなかったものの、10勝5敗の2桁勝利で、横綱としての面目を保つことに。復調を感じさせ、引退危機を脱したかに見えたのですが、続く九州場所では初日から4連敗。横綱としては87年ぶりとなる屈辱を味わったことで、今年2019年の初場所では、再び進退を懸けて臨んでいました。しかし、稀勢の里は初日から3連敗。昨年9月の秋場所から3場所にわたって8連敗(不戦敗除く)となり、横綱としては貴乃花を抜いてワースト記録となったのでした。それだけでなく、横綱在位12場所の取り組みでは36勝36敗97休という歴代最低の不名誉な記録を残す結果にもなってしまいましたね…。引退会見では、時おり涙をぬぐいながら記者の質問に答えていた稀勢の里先ほども書いたように、1月16日に両国国技館内で稀勢の里の引退会見が行なわれることに。時おり涙をぬぐいながら記者の質問に答えていた稀勢の里の主な会見は次のようになっていました(「 」内は稀勢の里による発言となります)。現役引退を決断した今の心境について「横綱として皆様の期待に添えられないということは、非常に悔いは残りますが、わたしの土俵人生に一片の悔いもございません」どんな相撲人生だったか?「本当にいろいろな人に支えられ、1人ではここまで来られなかったと思いますし、感謝の気持ちでいっぱいです」今場所はどのような気持ちで臨んだのか?「覚悟を持って、場所前から過ごして、稽古してきました。 自分の中で『これでダメなら』という気持ちがあるくらい、いい稽古をしました。 その結果、初日から3連敗という形で自分の中で、一片の悔いもありません」ケガを抱えながらどんな思いで横綱を務めてきたのか?「このまま潔く引退するか、いつも稽古場で自問自答していた。 応援してくれる方のために相撲は続けようと判断してやってきたが、このような結果になって申しわけない」入門時の師匠で、平成23年に亡くなった先代の鳴戸親方について「先代は稽古場というものを大事にしていた。 稽古場の大事さを次の世代の力士たちに教えていきたい。 先代には感謝の気持ちを伝えたい」これまでの土俵人生でいちばんの取り組みは?「2017年に横綱昇進を決めたあとの千秋楽での横綱 白鵬関との一番です。 2011年に大関に昇進したときには千秋楽で琴奨菊関に負けたので、その悔しい思いを持って、次に昇進するときには絶対に負けないという気持ちで取った一番でした」外国出身力士に対する思いについて「自分を成長させてもらったのも横綱 朝青龍関をはじめモンゴルの横綱のおかげと思っているところもあるし、あの人の稽古を巡業中に見て、背中を見て少しでも強くなりたいという気持ちで稽古をしました。 上がれなかったときも日馬富士関に声をかけてもらったり、非常にいいアドバイスをいただいて本当に感謝の気持ちでいっぱいです」今後については?「一生懸命相撲を取る力士、けがに強い力士、そういう力士を育てていきたい」ということで、今後は年寄「荒磯」を襲名し、田子ノ浦部屋の部屋付き親方として後身の指導にあたるという稀勢の里。今年の9月には断髪式が予定されているということでした。約17年の土俵生活。横綱としては2017年1月の初場所より昇進してから、約2年という短い期間ではありましたが、まずは力士、そして横綱として大変お疲れさまでした。今後は、荒磯親方としていまの相撲界を盛り上げてほしいですね。