■ 天孫降臨 ニニギ命(天皇の祖)、ニギハヤヒ命(物部氏の祖)、との違い。 ニニギ命は、「葦原の中津国」を、平定し、スサノオ命の「ウガヤフキアエズ朝」を、引き継いだので、即位できた。 縄文時代の、日本の首都、「葦原の中津国」は、富士山の、御殿場、付近。(4)
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■ NHK DVD ハイビジョンシリーズ 奇跡の山 富士山 【DVD】 (1)天孫降臨 ニニギ命(天皇の祖)と、ニギハヤヒ命(物部氏の祖) 同じ、アマテラスの、孫でありながら、なぜ、ニニギ命と、ニギハヤヒ命の、子孫の、格の違いが生じたのか。 ニニギ命の子孫が、天皇家となり、ニギハヤヒ命の子孫から、物部氏が、出る事になったが、なぜ、その様な、差がついたのか? 母系では、繋がっているにしても、である・・・。 ニギハヤヒ命は、大阪付近に、降臨したが、ニニギは、葦原の中つ国に、降臨して、平定した。 つまり、ニニギ命は、「葦原の中つ国」を、平定し、政権を、スサノオ命の、ウガヤフキアエズ朝から、譲り受けたのである。 そして、ニニギ命から4代目の、神武が、奈良にいた、ニギハヤヒを、傘下に収め、天皇に、即位した。 ちなみに、ニニギは、賑わいの、語源らしい。 ■ 【磐船神社参拝】天の磐船に乗ってやってきた饒速日命降臨の地!!岩窟めぐりは最強のパワースポット!! ニギハヤヒ命(みこと)は、「天の磐船」(あめのいわふね)に、乗って、河内国河上の、哮ヶ峯(たけるがみね)降臨して来た。 現在の、大阪と、奈良の県境である。 境内には、高さ約12メートル・長さ約12メートルの、舟形巨岩が有り、それを御神体としている。 ウィキペディア(Wikipedia)より。 (2)天皇になる、権利と、資格や、条件。 ニギハヤヒ命は、天孫でありながら、どうして、自らが、天皇にならなかったのか? それは、天皇になる、権利や、資格や、条件が、神武ほどには、無かったからである。 思い付きや、少数の意見で、勝手に、即位しても、意味が無い。 多くの場合、「即位」とは、誰かが、即位した、と言う前例や、一定の、条件や、資格が、あって、それに、従って、「即位」するものである、と考えられる。 この場合、ウガヤフキアエズ朝が、その前例となる。 神武は、天孫、ニニギ命から、4代目であり、且つ、スサノオ命の血統も、受け継いでいる。 その、ニニギ命の、息子である、「山幸彦」が、自分の息子に「ウガヤフキアエズ」と言う、名前を付けた。 なぜ、その王朝と、同じ名前を、付けたのだろうか? それは、自分の家系が、「ウガヤフキアエズ朝」を、引き継ぐ、と言う意思表示の為、と考えられる。 そして、その息子の「神武」が、スサノオ命の子孫である「大国主」の息子の、「事代主(ことしろぬし)」の、娘を、妻とし、即位の条件を、整えていたのであろう。 そう言う経緯があるので、後は、反対勢力を、一掃した後に、即位する事が、ほぼ、決定していたのではないか、と思われる。 (3)縄文時代 ■ 教科書では隠された縄文時代の起こり|小名木善行 縄文文明は、現在、分かっているだけでも、1万6500年、以上の、歴史があるので、世界一、古い文明と言える。 これは、メソポタミア文明より、1万年も、古い歴史である。 これは、アヌンナキが、人間を、作る、1万年近く前に、日本では、縄文時代が、存在しっていた事になる。 日本人は、神が、劣化、退化したものであり、アヌンナキが、作った、クレー、土人(奴人)とは、違うのである。 この、偽りの、世界四大文明については、別な、機会に、述べ様と思うが、エジプトに「ついても、メソポタミアについても、日本の、伝説が、伝わって、形成されたものと、思われる。 さて、そんな、古い、日本の歴史であるが、それ故、その地に、首都が無かった、とは、考えにくい訳である。 少なくとも、中国に、文明らしきものが、出現した時には、日本には、すでに、首都が在ったと思われる。 3世紀の、「卑弥呼(ヒミコ)」の時代には、日本は、百余国に、分かれ、争っていたが、「壱与(イヨ)」が、リーダーになって、たちまち、それが、収まった、と言う事は、その百余国は、元々、地方自治体であった事の証明ではないか。 一人の女性が、武力も使わず、リーダーに就任した事で、たちまち、統一、国家が、出来上がることなど、考えられないからだ。 地方自治体が、在った、と言う事は、国家が、在ったと言う事で、国家には、首都が、存在していた、と考えられる。 私の知る限り、首都らしき、地方自治地の「国」と言う言葉が、最初に、出て来たのは、天孫降臨の時の、「葦原の中津国」である。 天孫降臨の時に、「葦原の中津国」が、すでに、存在していた、と言う事は、それ以前の時代に、形成されていた事が、分かると思う。 その時代区分を、考えると、縄文時代と、言う事になるが、 「葦原の中津国」は、縄文時代の、日本の、首都であった、と考える事ができる。 では、その王朝とは? それは、複数の、「古史古伝」に、出て来る、「ウガヤフキアエズ朝」以外には、無いであろう。 そして、その王朝は、スサノオ命が、作った王朝と、考えられる。 (4)縄文時代の、日本の首都、「葦原の中津国」は、何処に、在ったのか? では、その、「葦原の中津国」は、どこに、存在したのか? 調べて行くうちに、富士周辺の、「御殿場」付近が、浮かんできた。 この地域は、古史古伝の、「宮下文書」で、富士文明が、在ったとされる地域である。 「宮下文書」では、「オオヤマズミ神」の子孫である「徐福」が、この文献の、一部を書いた、とされる。 (オオヤマズミ神の拠点は、富士山の、近くの「大山」に、その拠点が、あったのではないか?) この記述が、本当であるとすると、徐福は、大国主などと、先祖が、同じである、と言う事になる。 ちなみに、「徐福」を、派遣した、「秦の始皇帝」そのものが、日本から、大陸に渡ったと言う説もあり、始皇帝廟も、富士山そっくりである。 兵馬俑の兵士たちも、復活を願い、「日出る国」へ向いている。 秦の、語源となった、「秦野(はたの)」に、徐福が、到達した時は、「葦原の中津国」は、すでに、廃墟になっていた様だ。 これは、火山(孕み山)の噴火のよるものだが、ニニギ命が、疎開し、筑波、そして、九州へと、再降臨してから、廃墟となったのである。 それが、2600年か、2700年前の、事である。 富士や、箱根の噴火の、記録があるが、丁度、天孫降臨と、重なる時代である。 (5)古代の、日本では、「国」と言う概念は、地方自治体であったが、「外国」を、意識する時が来た。 国号「日本」の成立。 日本では、地方自治体を、「国」と言ったが、それは、当初、天皇や、その、王子たちが、統治する領域を、意味した、と考えられる。 昔は、地球に、人口は少なく、天皇が統治しない領域で、且つ、天皇、以外の、別な、統治者が存在する領域、つまり、「外国」と言う概念が、無かった、と思われる。 その概念に、遭遇したのが、「漢」の時代、あたりから、だと思うが、それ以来、この国に「国号」を、付ける必要性が、生じたと考えられる。 「奴国」とか、「倭国」とか、国内の、地方自治体などの名前が、外国に、日本の「国名」として、用いられていたので、混乱が生じた。 それ故、7世紀に、天武天皇によって「日本」と言う、国号が、正式に、用いられたのである。 (6)「葦原の中津国」は、スサノオ命がたてた、「ウガヤフキアエズ朝」の都であった、と考えられる。 さて、「葦原の中津国」は、スサノオ命がたてた、「ウガヤフキアエズ朝」の都であったと思われる。 日本には、古史古伝は、幾つか有るが、その事に関する記述は、各文献によって、微妙に、違ってくる。 が、しかし、おおむね、そう言う風に考えられている様だ。 仮に、スサノオ命から、6代目が、大国主命であるとすれば、少なくとも、今から、3000年位前に、「ウガヤフキアエズ朝」は、存在したことになる。 また、72代、続いた、とか言う説も、複数の文献に、記述されているが、その場合「大国主」と言う言葉は、国王を、意味し、歴代の国王は、70人以上、居たと言う事になる。 その場合は、その王朝の成立は、今から、4000年位前に、遡る事になるが、 いずれにしても、「大国主」は、宇宙から、降臨して来た、天孫「ニニギ命(みこと)」に、政権を渡す事になり、出雲に、神殿を建ててもらって、伊豆から、そこへ、移る事になる。 天孫は、何処から、降臨して、来たのか? それは、神武記では、(我々、天孫族は)179万2470年「昔」(光年)から来た、となっている。 「昔」となると、そんなに、長い期間、継続的に、天文を観察できるわけがないので、「光年」と言う概念を、当てはめると、現代と同じ様に、計算できるので、おそらく、そうだと、思われる。 そうすると、それは、遥か、彼方の、星から、やって来た事になり、 さらに、それは、「天の川銀河」の星ではなく、射手座の中に含まれる、「バーナード銀河」を、構成する、星ではないかと、思われる。 「バーナード銀河」は、我々の住む、「天の川銀河」に、最も近い、銀河である。 それは、地球から、180光年の距離にあり、有名な「アンドロメダ銀河」は、250光年である。 もしかしたら、アメノミナカヌシなど、太陽系を、作った? 神々も、この地域に居るのかも知れない。 大国主は、伊豆から、出雲へ、遠ざけられた。 それは、菅原道真が、大宰府に、流された、左遷を連想する。 また、菅原道真にしても、大国主にしても、 昔、住んでいた、都を、懐かしみ、 生まれ故郷に、ちなんだ名前を、流刑の地に、名付けたりしたのだろう。 だから、福岡にも、出雲にも、都と、同じ地名が、あったりするのだと思う。 ■ 【古代史探索の旅】第4話 出雲・大国主の謎編 出雲大社 荒神谷遺跡 国譲りの後に、神殿を作ってもらい、そこに、移ったが、それが、出雲だと思います。 そして、東北は、大国主(ダイコクサン)の息子、夷(えびす、エミシ)の自治領で、ダイコクサンと、その息子を、東西に、分断する意味もあったが、 後年、唐との戦いで、兵を、出さなかったので、軍隊を、差し向けたのが、それが、征夷大将軍の、始まり。 蝦夷(えみし)は、縁(えにし)の、語源だと思います。 (2024年3月24日、加筆) 私が、富士が、日本の文明の、中心であったと、考える理由の一つに、スサノオの和歌、八重垣の歌に、「伊豆」が、出てくると言う事がある。 日本で、一番、古い和歌が、スサノオの和歌であり、本当の、原文が、次の通りである。 これは、3000年から、4000年位、前の時代の、和歌と思われる。 ちゃんと、「伊豆」と言う、文字が使われていて、「出雲」と言う文字は、使われていない。 「出雲」と言う文字を、使う理由は、日本乗っ取りの為の「日ユ道祖論」から、来ていると思われる。 つまり、大陸に近い「出雲」の方が、日本の歴史を、短く見せようとするのに、都合がいいからであろう。 夜久毛多都 伊豆毛夜幣賀岐 都麻碁微爾 夜幣賀岐都久流 曾能夜幣賀岐袁(古事記) やくもたつ いずもやえがき つまごみに やえがきつくる そのやえがきを また、数多くの、地名が、神話と、一致する事。 今まで、何度か、それを、紹介したが、今回、また、新たな画像を、アップしたので、参考にして欲しい。 それに、富士山が、日時計であり、超古代文明では、この富士山頂に、日付変更線が、存在したのではないか、と言う、私の、説も、関係して来る。 そして、宮下文書の記述に、富士に、高天原があった、と言う記述である。 さらに、縄文文化の中心地に、首都や、都市が無かったのか、と言う疑問。 私は、富士山の、雲海が、高天原であり、同時に、スターゲイトであって、天岩戸神話などは、神々が住む、遠い宇宙の果て、あるいは、別次元の事であると、考えている。 それが、現実的では無い、とは思えない。 すでに、量子テレポートは、成功しているし、反重力装置も、存在する。 観察していない時は、この世界は、存在していない、とも言えるのである。 もはや、アインシュタインの、古典物理学の時代は、終焉をむかえたのである。 (7)スサノオ命(みこと)の、ヤマタノオロチ退治は、富士山周辺である。 「鳳凰山」が、鳥髪山。 「櫛形山」は、クシナダヒメを、表す。 「斐伊川」は、富士川で、甲斐から、伊豆に、流れる川である。 「酒匂川(さかわがわ)」が、八岐大蛇(やまたのおろち)に、酒を、飲まし、討ち取った所である。 ・「須賀」は、「横須賀」 ・「神無月」は、「神奈川」 ・「稲左の浜」は、あの、「新田義貞」で、有名な「稲村ヶ崎」である。 (2024年3月24日、加筆) 八岐大蛇とは、一般に、言われる様に、頭が、9つある、キングギドラの様な、怪物ではないと思う。 それは、「八」は、富士山、「岐」は、別な山と、接する、小道を意味するものだと思う。 つまり、人食いを、していた、爬虫類人間(レプテリアン)を、スサノオが、討ち取り、生贄に、なりかけた、クシナダヒメを、助け、自分の妻としたのである。 その時、しっぽ付近に、差してあった剣に、スサノオの、トツカの剣が、当り、折れてしまった。 スサノオは、その、レプテリアンの剣を、手に入れ、それを、アマテラスに、献上する事になる。 それが、オリハルコンで、出来た、天の群雲の剣(草薙の剣)である。 最近、米軍が、地底の、レプタリアンを、世界中で、攻撃したが、その時、オリハルコンの壁が、3000度の熱でも、熔けなかったので、苦労した話が、伝わっている。 (8)ヤマトタケルノ命と、草薙剣。 また、後年、この草薙の剣を、持っていて、実践に、使ったのは、ヤマトタケル命であった。 ミコトは、伊吹山の、神と戦う時、この剣を、持って行かなかった。 それは、剣が、不気味な、光を放っていたからだ。 この金属は、ヒヒイロカネと言う説もあり、 反重力と、関係していたと思われるが、UFOの機体も、それで、できていた、と言う説もある。 それ故、条件しだいで、ものすごい、力を発揮するのではないか、と思われる。 エネルギーが、高まれば、巨大な石でも、空中に、浮かせる事も出来るのではないか? その為、歴代の、天皇は、それを、直接、見る事は、避けたのである。 実際に、何人か、それを、見たものがいたらしいが、彼らは、死んだらしい。 話は、飛ぶが、 5年程前に、聖天使ガブリエルの聖櫃(せいひつ)が、サウジアラビアで、発見された。 開けた時、プラズマが、発生? 4000人が、将棋倒しで、死亡した事件があった。 これも、おそらく、オリハルコン(ヒヒイロカネ)で、出来たものだと思うが、 その、あまりの、すごさに、自国で、手をつける事が、出来ず、ロシアに頼み、プーチンが、大艦隊を組織し、南極に、捨てに行かせたらしいのだ。 さて、草薙の剣を、携帯して行かなかった、ヤマトタケル命は、伊吹山の神から、雹(ひょう)の攻撃を受け、足は、三重に折れ、死亡した。 そう言えば、去年だったか、中国で、ゴルフボール位の、大きさの、ヒョウが、降ったと言うニュースが、あった。 これは、気象兵器による、攻撃であると思うが、彼の、遺体は、白い、鳥型UFOが、来て、回収して行った、と思われるが、 もしかしたら、回収したのは、香取神宮の、フツヌシかも知れない。 この時から、白鳥と言えば、ヤマトタケルの事を、意味する様になったが、足が、三重に折れた事から、「三重県」の地名が、生まれた。 (9)「葦原の中津国」は、富士か、箱根の、噴火で、ニニギ命は、九州へ、再降臨した。 この、天孫降臨による、権力の移譲は、今から、3000年程、昔の事なのだが、その後、すぐに、孕み山(富士、もしくは箱根山)が、噴火したので、「ニニギ命」は、筑波に、避難したのではないか、と思われる。 付近には、タケミカズチの、鹿島神宮があり、鹿島には、「鹿島立ち」伝説が残っている。 孕み山(火山)の噴火により、「葦原の中津国」は、火山灰に覆われてしまった。 ニニギ命は、地球に、稲の栽培を、伝授する為に、降臨して来たので、この様な、状況では、その目的が、達成できないので、この地を去り、九州の日向へ、向かった。 日は立ち、日は向かう。 もしかしたら、これが、「日立」、「日向」の、語源では無いか、と思う。 移動には、香取のフツヌシが、用意した、「天の浮舟」(鳥型UFO)で、再び、日向の、高千穂へ、降臨したのではないか? ニニギ命が、富士山頂の、高天原(たかまがはら)の、スターゲートに、降臨した時、武御雷は、鹿島から、香取神社の、フツヌシの、「天の鳥船」に、乗って、駆け付けたのである。 そして、大国主の息子の、「タケミナカタ」と、相撲で、勝負するが、武御雷(たけみかずち)の、あまりの強さに、逃げ出し、諏訪湖まで、行くが、そこで、降伏し、ニニギ命が、この国の支配者となるのである。 この戦いが、仮に、現在、言われている様に、出雲であるならば、「タケミナカタ」は、どうやって、諏訪湖まで、逃げて来たのであろうか? 道も無い、水も、食料も無い、乗り物も無い、しかも、負傷しているのである。 「葦原の中津国」が、富士の、御殿場であれば、「タケミナカタ」は、諏訪湖まで、逃げる事は、可能では、あったであろう。 また、相撲(すもう)と、相模(さがみ、神奈川県)は、よく似た、言葉である。 かくして、ニニギ命は、九州へ、移動しので、「葦原の中津国」は、首都では無くなり、縄文時代も、終焉をむかえる事になった。 (10)「葦原の中津国」の、消滅後に、ニニギ命は、九州へ再降臨し、共に、降臨して来た「天の児屋根命」(藤原氏)は、相模に残り、「飛鳥」で、代行となる首都の、建設に、従事した。 しかし、ニニギ命と、一緒に、降臨して来た「天の児屋根命」(藤原氏)は、鹿島(中臣氏)と、親戚関係になったので、相模に残り、「茅ケ崎」付近に、「葦原の中津国」に、代わる「飛鳥」と呼ばれる、倭都の建設や、神事に、没頭する事になったのではないか? だから、神武東征の時には、藤原氏の、姿は、無いのである。 富士山は、日時計であり、日付変更線が、あったと考えられる。 その為、富士より、西と、東では、日付が違っていたと、思われる。 その、地球の裏の、日付変更線は、「ナスカ」付近にあり、「ナスカ」と、飛鳥(アスカ)は、陽と、陰の、対局の関係にあった、のではないか? これは、別の記事で、述べた事だが、明日(あす)と、飛鳥(あすか)、そして、朝(あさ)の、関係。 夜明けに、一番鳥が、飛ぶと、朝(あさ)が来る。 その声に、目覚めた人は、「飛鳥?(あすか?)」と、思いながら、起きる。 昔、朝は、「明け六つ」と、呼ばれていた。 が、それは、前日の、「暮れ六つ」に沈んだ、「前日の、太陽」であって、それが、富士山頂を、越えると、明日(あす)になる。 つまり、日の出から、日没までに、日にちが、変わってしまうのである。 これは、専門家でも、分からない事なので、もしかしたら、江戸時代には、その日付変更線の、記憶が失われ、単に、習慣的に、それまでの、時刻の表示を用いていたのかも知れない。 となると、一日の表示は、今と、変わらなかった、のではないか、と思う。 つまり、その日の「明け六つ」から、次の日の「明け六つ」までを、単純に、同じ日、と解釈していたとすれば、その様な、結論になる。 特に、江戸時代は、鎖国していたし、超古代文明の記憶は、薄れていたし、国際的な事などは、関係なかったのだろう。 また、「ナスカ」の、経線は、北米では、「バミューダトライアングル」の上に、来ると思うが、何か、意味ありげである。 なお、現在の、日付変更線は、イギリスと、太平洋上にある。 現在の、地図で、調べると、若干、ずれるが、大陸移動が、あるので、それを、計算に入れなければ、ならない。 ■ ポールシフト】南米大陸が最近、402km移動した。 これは、誰も、気付かない事だが、 最近、日本の、真上に、太陽が、来ているので、日本は、赤道直下に、あるのではないか? 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こんばんは。
秘密神社さんへ、【磐船神社参拝】天の磐船に乗ってやってきた饒速日命降臨の地、岩窟めぐりは最強のパワースポットなのですね、パワースポットつい最近聞くようになりましたね、神社にわとくに何かの力があるように感じがしますね、マイナスイオンも多いと聞いた事がありますが、パワースポットとマイナスイオン何か関係あるのでしょうかね。南米大陸が最近402km移動したのですね、日本の琵琶湖も南東か南西に移動しているそうですが、あまりわからないくらいの移動らしいです。よくいって30センチだそうです。前から全世界が移動していると言われていますね、最初の頃の地球みたいになり陸わ全部くつくらしいのと海だけになると言う説も言われています。地球儀も陸が3分の1で海が3分の2が出来ると聞いた記憶があります。 (2021年06月27日 19時23分25秒)
tetu0077360さんへ
ここで、重要なのは、数千年、いや、数万年かも知れませんが、その様な太古の昔に、日付変更線が、有った、と言う事です。 やはり、世界を、日本が、統治していたんでしょうね。 それは、縄文に、見られる様に、平和な、統治だったのでしょう。 数万年も、一瞬のうちに、消え去って、石や、遺跡に、その痕跡を、留めるのみですね。 現在、トランプ大統領が、地底の、宇宙人と戦っていますが、どうなるでしょうか。 (2021年06月27日 19時44分23秒)
こんばんは。
秘密神社さんへ、数千年いや数万年かも知れませんが、その様な太古の昔に日付変更線が有ったと言う事です。そんな昔から日付変更線が有ったのですか、世界を日本が統治していたんでしょうね、そうでしょうね、縄文に見られる様に平和な統治だったのですね、それを壊したのが闇やレプリタリアンですね。現在トランプ大統領が地底の宇宙人と戦っていますがどうなるでしょうか、日本人も協力して知恵をだせば勝てると思いますね、僕達日本人わ神の子孫だから知恵も勇気もあるはずですね。トランプ大統領に日本人も力かすべきですね、そうすれば勝てるでしょうね。 (2021年06月29日 21時04分22秒)
tetu0077360さんへ
世界中に、ピラミッドや、天文観測所が在ったりするのは、古代文明が、共通の、テクノロジー、持っていた、証拠です。 そうなると、日付変更線の存在も、世界レベルで、共通のものが、有ったのかも知れません。 ここで、江戸時代の、時刻の表現方法を、見てみますと、「明け六つ」が、日の出で、「暮れ六つ」が、日の入りとなります。 今の様に、夕方、8時頃に、日が沈んでも、8時とは、言わず、「暮れ六つ」なのです。 同じ様に、日が出た時が、「明け六つ」なのです。 そこで、朝の、明け六つの次が、5つ、その次が、4つ、となります。 そして、午前中の、12時が、9つであり、次が、8つ、7つとなり、暮れ六つが、きます。 1、2、3が、無いですよね。 これは、富士山の、9合目が、12時を表しますが、8合目、7合目、6合目と下がってゆきますが、 つまり、8、7の、二つの時刻に、登りの太陽も、合わせているのだと思います。 それが、5、4で、前日に、沈んだ太陽が、再び、登って行き、頂上に、日付、変更線が、有りますので、次の日の、太陽になるのです。 (これは、専門家の人に、聞いても、おそらく、分からないでしょう。これは、私の発見だからです。) 仮に、現在、国際的な、取り決めで、富士山に、日付変更線が、出来ると、それに、近いものに、なるはずです。 ところが、現在は、太平洋上に、日付変更線が、有りますので、そこで、調整され、朝起きた時は、自動的に、次の日になっているはずです。 夜更かしする人は、そんなことは、分かっている、と思いますが、夜中に、日付が、変わりますよね。 ところで、トランプ大統領は、すでに、勝利しておりますので、現在、それより、大切なものと戦っているのだと思います。 それは、不正と、不正を生み出す、システム、とです。 それを、改革しないと、トランプ大統領が、引退した時、また、元に、戻ってしまう、可能性があるので、その可能性を、根絶させているのでしょう。 トランプ大統領は、おそらく、それが、最も、重要な仕事と、認識しているのだと思います。 (2021年06月29日 23時16分09秒) |
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