■ マッドフラッドは、局地的なものである。 日本の地層と、タタールの地層の比較。 「タタールの建物」は、穴を掘って、後から、埋め込んだ? 「シ-ボルト事件」と、日本地図。 江戸城の改修には、新田の残土が、使われた。 江戸時代の、米の増産と、残土。 タタールは、200年前の事ではなく、8万年前の事であり、竹内文書と一致。
(1)「マッドフラッド」とは、何か?■ マッドフラッドまとめ 超紐解きの始まり#1 「マッドフラッド」と、言うのは、「泥の、洪水」と、言う意味だが、泥の、洪水によって、形成された、地層の、名称でもある。 マッドフラッドは、200年ほど、前に、核戦争があり、その時の、高熱で、極地の、氷がとけて、発生した、と言う、仮説が、立てられている。 その、泥の堆積は、場所によっても、違うが、おおよそ、8メートル前後、と言われている。 私も、ここ、数年で、そう言う、仮説がある事を、知ったのである。(2)「マッドフラッド」は、局地的なものである。 私が、子供の頃には、明治生まれの、人間が、何人も、居たし、江戸時代に、生まれた人間さえ、居たが、誰も、そんな話を、する者は、居なかった。 しかし、手塚治虫の、漫画には、それらしき、SF的世界ばかりが、描かれていたのである。 それで、色々、調べたが、「マッドフラッド」の、地層が、存在する地域は、限定されていて、世界全体が、そうなったのではない、と言うのが、正しい、解釈だと思う。 日本の、地層には、マッドフラッドは、存在しない、と考えた方が、いいだろう。 私も、実際に、発掘調査を、したことがあるが、そう言うモノは、見た事が無いのである。 もし、本当に、大洪水による、泥の堆積が、発生した、と言う、事が、事実であるならば、一部地域に、だけ、と言う事は、ないだろう。 しかし、現実には、世界の、一部の、地域にのみ、8メートル程の、マッドフラッドらしき、盛り土が、存在している様だ。 それでは、日本の、地層を、分析して行く事にする。 (3)日本の、現代の、地層から、縄文時代の、地層が、出て来るまで、約30cmの、深さ。 私は、マッドフラッド(泥の洪水の地層)の、動画に、遭遇して、非常に、驚いた。 しかし、日本の、地層には、「マッドフラッド」らしき、地層は、見当たらないのである。 マッドフラッドの、地層は、8メートルもあるのだから、すぐに、分かるはずだ。 しかし、そう言う地層は、1メートルも、無いのである。 日本も、広いので、何処かに、存在するかもしれないが、今のところ、遭遇は、していない。 つまり、マッドフラッドが、有るとすれば、限定的な、所にしか存在し無いのでは、と思われる。 日本の地層は、「1センチが、100年、」と分析されている。 例えば、現代の地層(地表)から、縄文時代の、地層が、出て来るまでの、深さは、どの位、あるのだろうか? 縄文時代の、終わりは、2300年~3000年前位、と諸説ある。 つまり、発掘して行くと、その、年代の、地層に、縄文時代の、痕跡が、現れるのである。 具体的に、どれ位の、深さに、それは、現れるのか? ここでは、3000年前として、計算してみると、何と、30センチ位しか、無い事になる。 私も、実際に、発掘調査を、したことがあるが、やはり、そんな感じであった。 私の、経験からすると、縄文時代までの、地層は、それ程、深くは、無かったのである。■ 茅ケ崎 Maruhaku TV より。 ■ 農業環境インベントリー展示館、6mの土壌モノリス!(4)逆に、「日本の、地層の、堆積(たいせき)率」を、「マッドフラッドの、地層」に、当てはめてみると、8万年前に、形成された、と言う事になる。 マッドフラッドに、日本の、地層の、堆積率を、当てはめてみると、 「1センチが、100年、」なので、「マッドフラッドの、8メートルの、地層」に、それを、当てはめてみると、8万年前に、マッドフラッドが、あった事になる。 つまり、核戦争が、起こったのが、事実だとすると、核戦争は、8万年前に、起こった事になるのである。 「タタール帝国」は、8万年前に、滅びた? これは、もちろん、仮説だが、 この、仮説の場合、旧・ロシアが、その、タタール帝国の後を、ついで、人間牧場を、形成した、と言う事になる。 ちなみに、今の、ロシアは、ソ連の崩壊後に、成立した、新・ロシア、と言う事になる。 この、8万年、と言うものが、偶然にも、「竹内文書」と、一致する事が、分かった。 (2023年、12月06日、加筆。)(5)現代に残る、「タタールの建物」は? 穴を掘って、後から、埋め込んだ? では、タタールの、発電所と言われる、建物は? 建物は、8万年間も、もつのか? 持続可能なのか? それは、無理だと、思うが、 200年前に、建てられた、と考えれば、その問題も、解決する。 例えば、建物を、3Dプリンターで、打ちだせば、一応は、可能である。 あとは、組み立てるだけだ。 まず、8メートル程の、穴を掘り、その上に、タタールの、テスラタワーの、発電所を、設置する。 そんなに、速く、出来るのか? それは、イルミナティの、ねつ造か? いや、巨人や、巨大ロボが、作ったのだろう。 ジャイアント・ロボが、作ったと思われる。■ Johnny Sokko and His Flying Robot ジャイアントロボ VS GR2 では、シベリアに、存在する、樹木に、樹齢200年を、超える、樹木が、存在しない理由は? 「ツンドラ地帯」に、雨が、降り始めたのが、200年前、と考えれば、その地域に、繁殖する、樹木の、年齢が、200年位、と言う事になる。 その、ツンドラ地帯とは、何か? それは、雨が降らず、樹木が、成長できない地域、の事である。 一応、こう言う、仮説を、立ててみたが、もし、これが、正しい説、だとすると、200年前の、核戦争で、樹木が、消滅した、と言う仮説が、怪しくなって来る。(6)「シ-ボルト事件」、日本の、地図が、ドイツ人の、スパイによって、持ち出された。 北海道は、日本列島に存在し、大陸とは、切り離された状態ですね。 北海道が、大陸とつながっている地図も有りますが、それは、あまり、その地域を、知らない人物が、作ったものと、考えられます。 ドイツ人の、「シーボルト」は、日本地図を、持ち出しますが、そこには、間宮海峡が、描かれ、樺太と、大陸とが、分離された状態が、示されて、おりました。 「シ-ボルト」は、医者で、オランダ人と偽り、日本に入って来ましたが、実は、ドイツ人でした。 その後、文政11年(1828年)、彼は、帰国の際、日本地図の、写しを、持ち出しますが、スパイと認定されます。 これが、「シーボルト事件」と言われるものです。 その後、シ-ボルトの、息子の、「アレクサンダー」が、ロシア海軍・極東・遠征隊・司令官に、その地図を、見せに行った、と言う事です。 何、息子が、アレクサンダー! また、レプテリアンか! 「シ-ボルト」は、日本研究家であったので、その他にも、地図を、持っていた、と思われますが、自分で、写した、別な、タイプの、地図も、あったのかも知れません。 ---、例えば、北海道と、大陸が、つながった様な、地図。 彼は、ドイツ人なので、日本を、ドイツ語で「ヤパン」と表現したと思いますが、もし、ドイツ語で、書かれた、東洋の、古地図が、存在していたならば、彼が、描いた可能性が、出て来ます。■ 日本列島の成り立ち(3000万年前~現在)から、お借りしております。 300万年前、日本列島は、大陸と、離れていた。(7)江戸城にも、マッドフラッド? いや、違います。 ■ 日本でのマッドフラッドのわかりやすい事例【マッドフラッドの欠片6】 動画では、日本の、江戸城(皇居)の地下に、盛り土が、成されていて、それは、マッドフラッドの可能性があるのでは、と述べられている。 しかし、これは、マッドフラッドでは、なさそうだ。 動画では、盛り土は、何処から、持って来たのか、不明となっているので、マッドフラッドの可能性を、指摘しているが、 この、盛り土は、水田の、増設によって、発生した残土が、使われた、と考えられる。 私は、東京でも、発掘調査を、した事があるが、マッドフラッドなど、存在しなかった。 この、「江戸城」は、室町時代に、「太田道灌(おおたどうかん)」が、築いた事に始まる。 彼は、戦上手で、有名であったが、1486年に、没する。 すると、北条早雲が、突如、快進撃を続け、たちまち、相模(さがみ)を、平定してしまうが、これが、戦国時代の、始まりと言われている。 この頃から、土塁のみの城、では無く、各地に、城らしい、城が、作られる様になってゆく。 その後、徳川家康が、関東の、支配者になると、江戸城に、その拠点を置き、大規模な、改修工事を、行った。 その祭、太田道灌の、江戸城の上に、盛り土をして、現在の、江戸城を、築いた様だ。 そちらの方が、津波や、地震に、強いのかも知れない。 (8)江戸時代、全国的に、米の増産に伴う、残土の増加がみられた。 ■ 江戸時代の、耕地面積の増加。 ■ 石高(こくだか)、コメの生産は、石高に、反映するが、江戸時代は、ほぼ、全ての地域で、大増産となり、全国的に、残土が、発生した、と言える。 埋め立ての、土を、何処から、持ってきたのか? それは、「江戸城」の、周辺地域の、水田を、増加させる政策が、とられた為に、新田が、開発された時点で、残土が、発生し、それが、利用されたものと、思われる。 ちなみに、4メートル程の、盛土が、成されているが、それは、ほとんど、江戸城と、その周辺だけであり、東京都、全体とか、そう言う、レベルのものでは無かった。 従って、最近、言われている様な、全、世界規模の、マッド・フラッド(泥の洪水)の、一部などでは、無いと言う事である。 逆に言えば、マッド・フラッドは、ピンポイント的なものであり、局地的な、現象であった、と言えるのである。 では、なぜ、コメの増産が、達成されたのか? それは、荒川の、改良工事によって、川の流れや、水量が、調節される様に、なったからである。 何しろ、昔の、前方後円墳は、水田の残土で、作られた、と言う説がある位である。■ 利根川の東遷、荒川の西遷■ 江戸時代の初期と末期では全国のコメ-米-の生産高は(9)水田の開発で、残土が生じ、それが、古墳に、使われた、と言う説。 ■ 古墳時代という嘘 〜実は墓ではなかった!?〜【CGS 日本の歴史 2-3】 ■ 「水田」の普及と、「古墳」の、普及が、時期的に、一致する。 ■ 水田を、作る段階で、残土が、必ず、出る。 ■ その、残土を、利用して、古墳を、作った。 ■ 水田が、普及したら、古墳が作られなくなった。 水田の、残土で作られた「稜墓」は、必然的に、土が、たっぷりと、盛られている事から、特に、古墳と呼ばれている、のかも知れない。カイブツたちを退治せよ!世界怪物大作戦Q 世直しYouTuber JOSTARが闇を迎え撃つ [ JOSTAR ]楽天で購入