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龍柱あらがあい
昨日(ちぬう)ぬ新聞、読(ゆ)なびたしが、御城(うぐしく)ぬ龍柱やまんかい向(ん)きゆがんでぃぬ事(くとぅ)なかい、今(なま)ちきてぃ、話(はなし)ぬ纏(まとぅ)まらん風儀(ふうじ)やいびいん。 龍柱や前(めえ)んかいどぅ向きゆみ、たんかあんかいどぅなすみんでぃぬ事やいびいん。 元々(むとぅむとぅ)、龍柱や何(ぬう)ぬ為(たみ)、何ぬ積合(ちむええ)し、建(た)てぃらってぃが居(をぅ)いびいら。 琉球(るうちゅう)んじ一番初(いちばんはじ)みに建(た)てぃらったる八重瀬(いぇえじ)ぬ獅子(しいさあ)や、火走(ほうは)い、鎮(しじ)みゆる積合にあたんでぃぬ事やいびいしが、うりに抗(あらが)ゆる為なかい、南風原(ふぇえばる)んじえ、八重瀬んかい向きてぃ、獅子建てぃたるむぬやいびいしが、別(びち)ぬシマから、自(どぅう)ぬシマんかいどぅ向かとおるんでぃち、思(うみ)いばっぺえし、また同(い)ぬ如(ぐとぅ)、抗あゆる為なかい、南風原んかい向きてぃ、獅子造たんでぃぬ伝(ち)てえ話ぬあいびいん。 うんな事、考(かんげ)いねえ、龍柱ん風気(ふうち)また災禍(さび、わざゑえ)返(げえ)しぬ意味(ちむええ)や無(ね)えやびらに。 風気災禍返しぬ意味やいどぅんせえ、外向(ふかん)き、言(い)いどぅんせえ、正面(めえ)んかい向きしがどぅ、実(じゅん)ねえあいびらに。たんかあなしいねえ、風気災禍返しぬ意味え無(ね)えらんないがすらん分かやびらに。 あんせえ、何んでぃち、後々ぬ龍柱やたんかあけえなとおいびいたがやあんでぃぬ話んかいないびいしが、何がなぬ祭(まちい)ぬばす、御庭(うなあ)んかい揃(すり)ゆる人(ちゅ)ん達(ちゃあ)が、「何がうぬ龍柱や人んかい向きとおる」あらんでえ「清(中国)んかいどぅ向きとおみ」んでぃち、癖(くし)し、たんかあ向きいんかい直(のお)ちゃるむのおあいびらに。 やいびいくとぅ、「何ぬ意味(ちむええ)し龍柱ぬあが」んでぃぬ事から考(かんげ)えゆしえ、ましえあいびらんがらあ。 琉歌 龍柱ぬ慣や 返し事(ぐとぅ)あてぃどぅ 思事(うむくとぅ)ぬあてぃどぅ 守(まむ)い立ちゅる 筆:比嘉清 【語句、訳】 龍柱論争 昨日の新聞を読みましたが、首里城の龍柱をどこ向けにするかという事で、まだ議論が纏まらないようです。 龍柱は正面向きなのか、相対なのか。 そもそも、龍柱はや何のために、どういう意味があって、建てられてきたのでしょうか。 琉球で最初に建てられた(という)八重瀬の獅子は、火事を鎮めるためだった言われていますが、それに対抗して、南風原では、八重瀬に向けてぃ、獅子を建てたつもりが、別の集落が、自分の所に向けられていると、思い込み、同様に、対抗獅子を造ったという伝説があります。 そんな事から憶測すると、龍柱にも伝染病や災禍をはね返す意味がないでしょうか。 伝染病災禍返しの意味なのであれば、外向き、つまり正面向きこそ、本当ではないでしょうか。もし相対なら、伝染病災禍返しぬ意味が無くなりはしないだろうか。 ではなぜ、近年の龍柱は相対になったのだろうという話になりますが、何かの祭のとき、御庭に集合する人々が、「なぜ、龍柱はわれわれに向けられているのか」あるいは「清(中国)」に向けられているのかと嫌い、(前の火事で喪失して再建する機会に)相対に変更したのではないでしょうか(すべて想像、妄想です)。 言いたいことは、「何の意味があっての龍柱か」という事から考えるべきではないでしょうか。 琉歌 龍柱というものは 返し事(魔除けなど)があってこそ 思事(意味が)があってこそ 守り立つ 筆:比嘉清 お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
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2022年02月02日 11時56分11秒
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